出会いはいつも必然に | 蜜蜂と銃 〜タロットと数の言霊〜

蜜蜂と銃 〜タロットと数の言霊〜

あの世とこの世と数とタロット占い。

まるでトレンディドラマ(死語ですか、そうですか)のようなタイトルですが、出会いは不思議な縁なしでは語れない。

霊視鑑定を始めてしばらくした頃、とある考えが頭をよぎったのです。

友人知人またはそのご友人とご縁をいただき、セッションの時間を共有させていただくことの幸運。私の限られた人脈や運では到底知り合えないような方々と出会えること、これは奇跡にも似た『必然』なのだろうと。

先日お目にかかったフォトグラファーの大串女史。

かなり早い時期からTwitter上で交流させていただいたご縁。氏のTwitter上でのプロフィール『昼は美少年フォトグラファー、夜はタロット占い師』という響きに何とも言えない魅了を感じていたおり、念願かなってお目にかかることができた。そのツイートは実に明解で、歯に衣着せぬ表現は使い込まれ手になじんだナイフのよう。生きるため、狩るためのナイフであると。

数時間に及ぶ会談(ランチからお茶まで)はお互いの肩書きは違えど、根底に流れる”未知への探求”めいたものが何であるか、欲するものはなんであるか、タロットの神がかり的な啓示の秘密や、流行のスピリチュアルへの違和感など、中身の濃い時間。

また、氏が持参されたエッティラタロットで丁寧に鑑定いただき、軽いショックを受けることになった。エッティラの力はさることながら、氏のタロッティストとしての考え方と的確な言葉の選択に敬意を表したい。とても素晴らしい鑑定だった。やはり力のある方に視ていただくのはいい。実に素敵な出会い。

しかし、こうして出会える幸運が全ての人に訪れるとは限りません。

私も同様。対面霊視鑑定で出会える方は限られています。また霊視や占いという響きに嫌悪感を抱き、目を向けていただけないのかもしれない。万が一、偶然どこかで柏木蓮を知っていただいたとしても、距離や時間に阻まれて諦めざるを得ないとしたら、それは残念でならないと思うのです。伝えたいことはたった一つであっても、伝える手段は多くてもいい。私がブログを書き続けることもこの手段の一つなのです。

実は少し前から物語を書いています。ジャンルにするならスピリチュアルアドベンチャー(恐らくそんなジャンルは存在していない)かな。どうしても書いてみたい衝動に駆られ処女作を執筆中。魂の誕生とその成長過程の葛藤や矛盾、命の終わりと始まりのお話しです。大人に読んで欲しい物語として書いていますが、流行のお気軽スピや都合勝手の良い引き寄せや劇的な奇跡は起きません。テーマとしては重たい部類になるかと思います。その重さ(押しつけやありがちな正義の強要)を排除し、登場人物の心の描写に力を注いでいるのですが、これが非常~に難しい。プロの作家さんてすごいね。

書き始めて。
何かを伝えたいと思って書き始めたはずなのに、実は自分の心をさらけ出す作業なんだと気がついたのです。魂との対峙というか、大いなる意志へ接触ともいうべきものでした。ああ、誰かのためなんて、そんな安易で身勝手なものじゃなかったんだ、と。

物語(執筆)との出会いは偶然ではなく、必然であったと思うです。きっと霊視やタロットだけでは到達し得なかった場所へと私を連れて行ってくれる。そんな気がしてなりません。シナリオを考え文字にする作業は、霊視にもタロットにも似ているのです。目では見えないものを目に見える形にする。それが見知らぬ誰かに伝わっていく面白さがたまらないのかもしれません。