
Rendez-vous Theater
【2025 - No.34】
~ 若さゆえ君は傷つき Act 5 ~
ゴッドファーザー
PART Ⅲ
アメリカ 162分 1990年
青春映画を特集して鑑賞する独自企画のなかで何故にゴッドファーザーを選んだかはマイケル・コルレオーネの娘メアリーを中心に捉えて、と云うのはあくまでも建前であって本音は単にこのパートスリーが久々に観たくなったからに他ならない
今振り返ってみると本作の劇場公開時における評価は散々だった。批判の矛先はストーリー展開だけに留まらずアル・パチーノの角刈り風髪型やウィノナ・ライダー途中降板の後を受けメアリー役に配されたソフィア・コッポラの演技にまで及んでいたと記憶する。こう書く私自身も当初は否定的な見解を持っていた。恐らく前二作への思い入れが強ければ強いほどそうした傾向は顕著になるのだろう。だが不思議なことに何度かパートスリーを鑑賞するうちそれが少しずつ肯定的な印象へと変わってきたのである。その要因には自分が年齢を重ねマイケルの心情を汲み取るのが可能になった点と合わせ、作品を形成する枠組みの端々にも目が向くようになった点が挙げられよう
此度改めて気づかされたのは冒頭のマイケル叙勲祝賀会で始まり、糖尿病を患った彼の入院を経て、結びのオペラ公演と敵対者抹殺の同時進行に至る全体の流れがパートワンに対するセルフオマージュで構成されていることだ。祝賀パーティーにはマイケルの妹コニーの結婚式にも参列していた人気歌手ジョニー・フォンティーンが、またシチリアのパートでは若きマイケルの警護を務めたボディガード(演じるのはパゾリーニ作品で有名なフランコ・チッティ)が共に懐かしい姿を見せておりパートワンを踏まえて観ると登場人物たちの顔ぶれなどもなかなかに興味深い
私にとって嬉しいのはパートスリーではマイケルと元妻ケイの交流シーンに多くの時間が割かれているところだ。アル・パチーノとダイアン・キートンが演技で示す微妙な心の動きには思わず引き込まれる。マイケルの子供をもう産みたくないと堕胎したケイが彼に頬を張られるパートツーの場面は鮮烈なイメージで頭に残っているだけに少しずつ仲違いの距離を縮めていく二人の様子には胸を打たれる。或る意味パートスリーは運命に翻弄されたマイケルとケイが失った時間を取り戻す物語と表せなくもない
斯様の如くこれは決して駄作ではなくむしろ水準レベルを超えたフィルムだと最近になって私は思うのだが、更にこのスリーがワン、ツーと較べ一歩も引けを取らぬ内容とするには脚本のここを加筆修正したら良いのではないかと考える部分を僭越ながら幾つか挙げてみたい(以下記述にはネタバレを含む)
▷ 従兄妹同士の恋愛
コルレオーネ家長男ソニーの息子ヴィンセントと三男マイケルの娘メアリーが相思相愛になる設定は一線を越えないにしてもやや現実味に乏しい。七歳年下のメアリーが憧れを抱く気持ちはありえても女にモテるヴィンセントは洟も引っ掛けないのが世の習いではないか。主題のひとつたるメアリーの恋愛相手はやはり身内以外にすべきだろう
▶ 短気なヴィンセントがドン
父親譲りの熱血漢ヴィンセントがマイケルの後を継ぐのは如何なものか。もし仮に彼がアンガーマネジメントを学び怒りをコントロールする術を身につけたとしても人間の性質は容易に変えられないため重大な局面でその荒さが災いしファミリーを窮地に陥れる可能性も否定出来ない。それをよく理解していたのがヴィトである。従って三代目の首領選びは血縁に拘らず公明正大な視点で進めるのが望ましいのではなかろうか。メアリーの恋愛もここ(つまり身内以外の後継者)に結びつけると話が締まりそうだ
(Photo: via IMDb)
▷ オペラ歌手アンソニー主役抜擢
マイケルの息子で法律の道から音楽家に転身して間もないアンソニーがオペラ公演にていきなり主役デビユーを、それも欧州有数の歌劇場テアトロ・マッシモで、果たすのは説得力に欠ける。公演責任者が手塩に掛けたサラブレッドの首を刎ねベッドに忍ばせるコルレオーネ流暗黒技で無言の圧力を与えたと想像されなくもないが映画を観る限りそれはなさそうだし、ファミリーを合法的立場に置きたいと一計を案ずるマイケルがそんな過去の邪悪なアプローチを持ち出すとも思えない。なのでアンソニーは元々声楽家を志しイタリアへ留学していたなどと設定する方がしっくりこよう
▶ マイケルの最期
そしてスリーにおける一番の課題がマイケル最期の描き方だ。まるで取ってつけたみたいなあの場面は一大サーガのエンディングに全く相応しくない。生き馬の目を抜く世界でファミリーを守るべく慕われるよりも恐れられよと説くマキアヴェッリの君主論を地で行く生き方をしてきたマイケルが息を引き取る際まで孤独とは彼の信仰する神はそこまで無慈悲なのか。愛娘が凶弾に倒れるだけでは数々の罪は贖えないとでも云うのだろうか。余りに納得がいかず三部作の締め括りとしてランデヴー版のラストをイメージしてみた
最愛の娘メアリーを亡くして以降失意のままに老い衰えたマイケルは口うるさいシチリア人家政婦と共に故郷のコルレオーネ村でひっそりと暮らしていた。そこへ同業のオペラ歌手と結婚したアンソニーが家族を伴って訪れる。久々の再会を喜び合うふたり。滞在中の或る日アンソニーのひとり息子ガブリエルがマイケルにキャッチボールをしようと声を掛ける。彼はメジャーリーガーを夢見る野球少年なのだ。ガブリエルにアンソニーの面影が重なるマイケルは息子とキャッチボールどころではなかった昔の境遇を振り返りながら今あたかも若き自分が親子の触れ合いを楽しむかのように孫との幸せなひとときを過ごす。その晩の賑やかな夕食時、日中の急激な運動が糖尿病を患う身体に負担を強いたのかマイケルが突然咳き込んで倒れる。息子家族に見守られつつ次第に意識が遠のく彼の脳裏に去来するのはケイ、メアリー、アンソニー、ヴィト、ソニー、フレド、コニー、トム、ヴィンセントそしてアポロニアたちの姿だった。マイケル・コルレオーネよ、安らかに眠れ
★★★★★★★☆☆☆
(今回鑑賞はオリジナル版, Fコッポラ監修再編集版は未見)
原題 The Godfather Part Ⅲ
監督 フランシス・コッポラ
脚本 フランシス・コッポラ, マリオ・プーゾ
撮影 ゴードン・ウィリス
編集 バリー・マルキン, リサ・フラックマン 他
音楽 カーマイン・コッポラ
出演 アル・パチーノ, アンディ・ガルシア
公開 1990.12.25 (米)/ 1991.03.08 (日本)
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地獄に堕ちた勇者どもを筆頭に数々のルッキーノ・ヴィスコンティ作品で名を馳せたヘルムート・バーガーが本作に配役されているのは知っていたものの一体どの人物を演じているのかずっと分からずにいたが今回ようやく彼を確認。ヴィスコンテイ死後のバーガーはパッとしなかったのでどうせチョイ役だろうと勝手に思っていたのだが意外にも結構重要なキャラに扮していた。もし初見であの男がヘルムート・バーガーと気づいた方はかなり目利きの映画通である
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