Gruenkohl Party
2012年1月20日に,Danielの家で Gruenkohl を食べるという Dinner があった.それぞれの出身国がオランダ,ドイツ,アメリカ,カナダ,日本,という集りであった.そういう場で良く話題になるのは言語間の差異についてである.
ある友人は中国語の発音がいかに難しいかを中国語を習った経験から説明した.彼が言うにはこれを習うのはほぼ不可能ということである.ドイツ語の名詞の持つ性や冠詞のシステムも特徴のあるものとして良く話題に登る.
また,ある友人は日本の物の数え方のユニークさを指摘した.日本語では物を数える際に何を数えるかによって数詞が異なるので何を数えているかが想像できる.人を数える場合と紙の枚数を数える場合方法は異なる.とはいえ,私は英語でも two piece of papers や, three pairs of jeans というので,日本語はそれをどんな場合でも使うだけだと説明する.
私はよくこれこれの言語はこんな難しさがあるから習うのは無理だというような話を聞く.しかし聞くほどひどいというものではないのではと私は個人的に疑っている.たとえば,日本語では3000ほどの漢字を日常的に利用する.しかし,これらの漢字は実は100程度の部首の組合せであり,3000全てがまったく関連のないものはない.多くの人が日本語や中国語,ドイツ語の取得に成功している.
ところで,私が良く使う組合せの感じの例は,人と木の組合せはどういう意味か.である,この blog の日本語版を読んでいる読者には簡単である(休)が,英語版の読者は人と木の組合せが何を示すかちょっと考えてみて欲しい(*).私の友人のもっとも多い解答は「木こり」である.ただ,「休む」という意味を答えた友人はまだいない.