Japan2009 6/3(night)-6/4 | Chandler@Berlin

Chandler@Berlin

ベルリン在住

6/3




夜には高校時代からの友人 G と再会する.彼は今は有名になってしまって,国際映画祭のコンクールに招待されたりする.私は昔から彼のやっていることを「わからないわからない」と文句を言っていたのだが,彼はそれでもそこにある彼の語りたいことを何度も説明しようとしてくれた.最近,そういうのがわかるようになってきた.

写真は Stero Shadow の実演.この感覚は面白い.

ところで,以前,チケットを買ってある演劇を見にいき,演出家に「この演劇,よくわからないのですが.」と質問したら,「わからないとは失礼な」と言われたことがある.ユニークな所はあって興味はあったのだが,あの人の話はさっぱり聞かない.あなたが真面目な質問をした時,「失礼な」という人間はまずろくでもなく,あなたの質問は核心を付いていると私は思う.質問に答えたくないから,礼儀などを持ち出して答えなくてはいけないのではないだろうか.


Chandler@Berlin-stereoshadow

私は今,研究もソフトウェア開発もコミュニケーションであると実感するのであるが,もしかしたら,芸術もコミュニケーションではないのかとふと思う.なぜなら芸術も何かを伝えたいということが根底にあると想像するからである.何かを言いたい,何かを見せたい,しかしそれはいつも「誰かに」である.

G とはまた,Blade Runner を一緒に見てしまった.


6/4


大学時代の合気道を共に学んだ友人夫婦と会う.この子供の語彙と,お話を作る能力がすごい.考えてみれば母親は文学部であったかな.言葉を正しく学び,論理的に考えることができるのはどこに行っても大丈夫であると私は確信する.特に理系で伸びたければ国語ができなければいけないと思う.国語ができなければ問題が何かを知ることも説明することもできないのであるから.

夜,今の会社の同僚の姉に会う.ドイツ人で日本語の読み書き話しがこれほど達者という方にお会いしたのは初めてである.しかも,いろいろと運が良いなどというが,後で考えると将来に対する設計と戦略が見える.たとえば,「日本のちょっと興味があって日本で働きたい.」という人に会うのはそんなに稀ではない.しかしだから日本語を話し,読み書きができるというのは運とは別である.彼女のように「ビジネスに興味があって,外資系の日本での役割についてたまたま興味があった.そういう外資系で働くのもいいかなと思った.」という人もいくらもいるだろう.しかし,外資系の日本での役割について博士論文を書き,その調査で外資系の企業の manager 達と知り合いである.というのもまた運ではない.知的で仕事ができるだけではなく,魅力的な女性でもあった.