(English version)
前回するどいコメントがついた.壊れた自動販売機だったらどうするのかということである.しかし,「壊れたというのはどういうことか」をまずはっきりさせないといけないだろう.「壊れているというのは壊れているということだ」,と言う人もいるだろう.しかし数学者にはそんな言葉は通じない.数学者には常識はないのか,そうかもしれない.もちろんそれには理由がある.
私が数学を趣味にしているのは,主に数学を使って機械(計算機)に仕事をさせて楽をするためである.したがって,私個人にとっては機械が解釈可能であるような考えでないとそんなに面白くないのである.数学というのは機械に解釈できる部分が多い,だから私には有用だし,楽しみがある.情報を探してこいとか,家から駅までの最短距離を教えてくれとか,安いチケットを探してこいとかいうのも,機械が解釈できる形になっていなくては何もできない.壊れているというのがはっきりしないというのは,それを機械にどう解釈可能な形で指定するかというのがはっきりしないということである.
たとえば,入力しても何もでてこないような函数は壊れているのか.それとも予想できないものがでてくるのが壊れているのか,あるいは何を入れても同じものしか出てこなかったらそれは壊れているのだろうか.というように壊れていると考えられることはいくつもある.このように何をもって壊れているのかを指定できない場合には現在の機械には解釈が難しい.
また,壊れているという言葉はある意味主観的なものでもある.ある種類のチップはその内部の情報が重要であるがために,中を覗こうとすると二度と読み出せなくなる機能がある.つまり,ある条件で壊れるように作られている,とも言える.たとえば,クレジットカードの暗号を保存しているチップや,コピーガードのチップにはこういう機能があるものがある.二度と内部の情報が読み出せないということを「壊れる」という表現を使う人がいる.しかし,それは実は設計者にとっては正しい動作であって,設計者にとってはまったく壊れていないのである.設計者にとってそういうチップが壊れているという意味は,情報が漏洩しそうなときに壊れないチップが壊れているのである.こういうものは人間には理解が簡単であろうが,現時点の機械にはなかなか難しい.誰かにクレジットカードを盗まれた人がいたとしよう.その人はチップが他人には使えなくなることを期待するだろう.もし,チップが壊れていて,盗んだ人が秘密の情報を読みだすことができて,カードが利用されてしまったら,クレジットカードの所持者はそのチップが「壊れていたから壊れなかった」として訴訟を起こすかもしれない.
λ計算は計算が何かを考えるものであるから当然こういうような函数についても考えているのである.簡単に言えば,上記の壊れているというものの表現ができないのであれば,それはこの計算方法の限界を示すのであって,不完全なのである.ただし,どういうものが壊れているのかはちゃんと人間が定義する必要がある.数学者は面倒くさがりやだが,不完全なものは嫌いである.いかにさぼって完全なものを手にするのか,そう,「さぼり」ですら「完全なもの」を追及するのが数学者の美学である.だからそういうことも当然考えているのである.数千年の数学の歴史は数学の完全性に関しての理論で一区切りがつくほどである.しかしこのテーマは,ここで述べるには大きすぎるし,私のような単なる日曜数学が趣味の者には荷が重いので言及できないかもしれない.でも,機会があればどこかでこのことに関して少しは述べることにしよう.