夢際伶菜は、本来の自分を捜し出して、本物になる為にyumegiwa last girlに所属し表現者・アーティスト・アイドルとして生きています。



 これにはきっと、いや確実に終わりが来ます。その時に私が自分自身のことを愛せるようになって、生きたいと思えるようになったらいいな。貴方と沢山のものを共有できたらいいな。

ここでは、夢際伶菜の裏にある私自身の半生を書き綴ります。



過去は優しく残酷に今の私を形作っている。

同情してもらいたい訳じゃない。

ただ、私のことを皆に知って欲しいんだ。





Bottom


  私は北海道札幌市のシングルマザーの家庭に生まれた。非嫡出子だった。父は私を産んだ母に「子供なんて産むな」と言い、しばらくの間姿を消して私が二歳になるまで存在を知らなかったと、裁判資料に書いていた。


  生まれつき体が弱かった私と、思春期を迎える異父兄弟の兄と姉を女手ひとつで育てていた母は、毎日とても大変だったと思う。

そしてずっと子供たちや母のことを放置していたのにも関わらず、突然家に来るようになり母を脅して財布や引き出しの封筒からお金を取り、すぐにキレて怒鳴散らし暴力を振るう私の父親に、相当振り回されていた。



日に日に母はやつれて行った。


夜の仕事を始めたようだった。





  それからは保育園にも私一人で通って、家に帰ると冷蔵庫にある納豆と天かすの夕食を一人で食べた。


夜も一人で寝ることが多くなった。


それは四歳の私にとってすごく、寂しいことだった。周りのお友達みたいにお迎えに来たママに抱きついてみたかった。優しい味のするママのご飯を家族みんなで楽しく食べてみたかった。



私には、両親に愛された記憶が無い。

幼少期の親からの愛情不足は、大人になった今の生きづらさに直結している。







  父からの脅迫や仕事と育児で心身ともに疲弊した母は、そのはけ口として私に暴力を振るうようになった。

「どうして言うことが聞けないの!どうしてご飯を全部食べないの!泣いてばっかりいないでちゃんと答えて!悪い子にはお仕置きが必要だ。」

そう言って私を膝の上にうつ伏せに乗せて、お尻を何回も何回も真っ赤になるまで叩いた。


  笑ってくれる優しいママはいなくなっちゃった。私はただ「ごめんなさい」と言うことしか出来なかった。


母は衝動的に私を叱った後はいつも、トイレにこもって泣いていた。薄いドア越しに苦しそうな嗚咽と「子供なんて産まなければよかった」という声を私はじっと聞いていた。





「ママごめんなさい、いい子にするから泣かないで。」







  そんな日々が続いていた時期、私がいつも通り一人で寂しく寝ようとしていた夜に突然父がやって来て、寝かしつけてくれた。なかなか寝付けない日はドライブに連れて行ってくれた。そのときだけ父は優しかった。

私は嬉しくて、母に内緒でこっそり父に電話をして一緒に寝てもらった。


まるで救世主が現れたようだった。




  ある朝、私は父の怒号で目が覚めた。慌ててリビングに行くと、父と母が喧嘩をしていて、それを姉が止めていた。

私はお気に入りのリンゴのパジャマを着ていた。


「伶菜はパパと一緒に暮らしたいよね?」 



長い沈黙の後、私は首を縦に振った。


  当時五歳の私は母からの暴力やネグレクト、夜一人で寝ることがとても怖かった。

そして母よりも、鬼のような目でこちらを見る父に逆らうことは出来なかった。


  私はお気に入りのお人形と少しの服を持って、父のトラックに乗って家を出た。

あっという間の出来事で全く理解が追いついてなかったが、家から離れていくにつれて母と別々に暮らすことになるという現実が私の中に入ってきて、新しい家に着いても一晩中車の中で泣いていた。



家に入ると真っ黒くて大きな犬と背の高い女の人が迎え入れてくれた。




  新しい生活が始まって数日後、ママが私を取り返しに来た。

私はママが来てくれたことを素直に喜ぶことができなかった。私はやっぱりいらなかったから捨てられたんだと思っていたから。


  そして、想像通り父は激怒し私を抱いている母を力いっぱい殴り、私を庇ってバランスを崩したママはタンスの角に頭をぶつけ、真っ赤な血が顔に、床にダラダラと落ちていった。


この光景は今でも脳裏に焼き付いている。




「こうなってしまったのは自分のせいだ。私さえ居なければ、ママが泣くことも血を流すことも、パパが殴ることもなかった。」




何度も蹴られる母を部屋の隅で眺めながらそんな事を考えていた。



  しばらくすると警察の人が二人来て発狂していた父を押さえつけた。もう、誰も信じられなくなった私は警察のおじさんの元から離れることができなかった。


その後のお話の時に、私は警察のおじさんに言った。


「ママのことは好きだけど、パパがママのこと嫌いだから嫌いって言わなきゃね。」





  いま思うと私は、このような環境で育ったが故に幼少期から無意識に周りの大人の目を気にして、どんな時でもいい子でいようと自分の感情に蓋をして、嘘ばかりついてしまうようになったんだと思う。

一番甘えたい時期に甘えることができなくて、愛され方も愛し方も学ぶことができなかった。

大人になって自分自身と対話した時に、その傷の深さに気がついた。


それに気付かなければ素直に笑えていたのかもしれない。








                   続く…