今日は改めて「自己犠牲」

というものについて

書こうかなと思います。

 

 

 

こんにちは、エイチです✨

いつも読んでくださってありがとうございます✨

エイチはこんなひと

 

このブログでは

恋愛セラピストであり

 

自身もツインレイ経験者で

サイレント再会当日にプロポーズ・結婚

今も愛し愛される日々を送る私が

 

再会・統合に向けての

本質的な気づきのシェアを

 

お伝えしています。

 

 

愛し愛される人生を手に入れたい方

ぜひ繋がってください✨

 

他人軸とセットになって

よく語られるかなと感じています。

 

 

自分軸の敵のような存在。

 

 

確かに

彼に嫌われたくなくて

彼の顔色を伺ってしまったり

 

同様に

何かの恐れから

自分を低く見積もって

何か奴隷のように

人の言うことを聞く。

 

 

そんな時に

自分を犠牲にしている

 

 

と感じるかもしれませんね。

 

 

 

自己を犠牲にしている

というと

 

凄く悪いことをしている

気にもなりますが

 

 

人と何かを分かち合うことと

何が違うのでしょうか?

 

 

 

共有したり

シェアをしたり

 

 

 

或ることは分かち合えて

或ることは犠牲と感じる。

 

 

不思議に思いませんか?

一体何が違うのでしょうか?

 

 

では犠牲と感じるのは

 

自分が「或ることにおいては」

不十分だからなのです^^;

 

 

そんなあやふやな一面が

実は「自己犠牲」にはあります^^

 

 

 

 

簡単にいうと

何かその「犠牲」と

感じることについて

 

本当は

自分が「欲しい」側だから

なのでしょうね。

 

 

 

なので

与える側に回ったときに

自己を犠牲にした気になる。

 

 

例えば

 

相手への好意は

いつも自分から示している

 

相手にいつも

自分ばかり気を遣ってしまう

 

 

自分ばっかりさせられている

という犠牲感が湧きます。

 

 

だけどこれは

本当は自分が相手に

 

好意を示して欲しいし

気を遣って欲しいのです。

 

 

自分がそのことに

不足していて

 

いつも自分ばっかりで

いつも相手が得をしている

 

と感じている

自分の不足=不十分感から

 

犠牲の気持ちが湧きます。

 

 

 

ですので

 

相手があなたに

犠牲を敷いている

と言うわけではないのです^^;

 

私も経験がありますよ。

 

 

 

そして

この犠牲をもう少し

深めて見てみると

 

 

この不足感・不十分が

どこから来ているかというと

 

 

実は

自己評価の低さ

なのですよね。

 

 

 

例えば

自分を犠牲にしながら

相手に好かれようと

 

良い自分

都合の良い自分

 

をやってしまうのは

 

 

そもそもが

自分のことを

 

「良くない女」「ダメな女」

 

だと思っているからです。

 

 

具体的に言うと

 

  • 愛されない女
  • 性格が悪い女
  • 好かれない女
  • 大切にされない女

 

そんな自分だと

自分で評価していて

 

そのままでは

愛されないと思っているから。

 

いい女になろうとして

いいことをしようとした結果

 

自己犠牲をしている自分

 

ということです。

 

 

だから全く

相手のせいでは

ないのです。

 

 

自分が「悪モノ」だから

いい女になろうとしていた

という構造です。

 

 

自分を悪者だと

思いたいのかもしれませんね。

 

 

そして

悪モノが悪いとなると

 

正しいモノも

むくむくと

自分の中で

起き上がってきますから

 

 

いつも自分を

「悪モノ」「いいモノ(女)」

という観点でジャッジする

自分が出来上がってしまい

 

どこかいつも

自分はダメでないかという

漠然とした不安を

持つようになります。

 

こうなると

人生全てにおいて

 

悲壮感というか

ネガティブ感というか

どこか上手くいかない

不安を抱えるので

 

正しいか間違ってないか

 

いつも確認しないと

いられないという

 

なんだかもう

自分がめんどい状態になります💦

 

 

 

 

そして

 

そんな時の「自分軸」って

何でしょうかね?

 

 

自分の正しさを

一生懸命確認し

主張するような

感じがします。

 

 

そうなるともう

その自分軸というものは

 

何かが足りない女軸

になります。

 

 

自分軸と言って

自分を知らしめようとするほど

 

自分が自分に対して

不十分であるということを

 

知らしめる

そんな軸になるわけです。

 

 

 

 

むしろ、

そうすることで

 

本来の自分の

目的や意図を見失い、

 

 

自分を犠牲にしないように

していた振る舞いが

 

却って

本来の「自己犠牲」

 

自分の望みが達成しない原因を

作っているようにも思います。

 

 

 

ではどうしたらいいのか?

 

 

 

自己犠牲をやめるための方法

 

それでどうやって

自己を犠牲にしているような

気持ちから離れるか

 

ということですが

 

犠牲をしないために

 

自分を貫く!

 

と言うことは

時において

自己評価を下げます^^;

 

自分を優先させることで

人を粗略に扱っても

 

上手くいかないことも

多いからです。

 

 

人も自分も大切にする

 

 

という当たり前のことを

意識できるといいかもしれません。

 

 

 

つまり

自己犠牲の反対は

 

自立や自分軸

 

と言ったものではないのです。

 

 

 

犠牲の反対は「受け取る」です。

 

 

そして

自己犠牲感がある方に

ぜひやって欲しいのは

 

 

自分の犠牲の数ではなく

 

自分が与えられている数を

数えてみませんか?

 

 

 

もし

 

あなたが思う誰かからの

 

与えられたものを

数えられないというなら

 

 

その相手は

奪うだけの相手で

愛が循環しない相手

かもしれません。

 

 

もう離れるべき相手かも。

 

 

あなたの方にも

差し出す愛がもう

ないのかもしれません。

 

 

そうでないなら

 

相手や何かの

犠牲になっている

と感じる部分だけを

みるのではなく

 

まずは貰ったものを

受け取りましょう。

 

 

自己犠牲をしている自分に

フォーカスする前に

 

貰ったものに

しっかりと

目を向けていきましょう✨

 

 

自分を十分にしましょうよ。

 

 

沢山もらえる

自分だと気づき

 

無理していい人しなくても

 

愛されている

自分に気づきましょう。

 

 

 

 

そして

ある愛に気づいて

 

自分が愛に溢れていたら

与えたところで

 

自己犠牲にもならない

自分軸も要りません✨

 

 

ではどうやったら
愛に溢れる自分になれるのか?

在り方を本気で変えたい方は

自己変容コースに来てくださいね。

 

 

 

 

今日も最後まで

お読み頂き

ありがとうございました✨

 

 

何か役に立ったなと

感じる記事でしたら

 

公式ラインのご登録

よろしくお願いします^^

 

 

関連記事↓

 

✨無償の愛と自己犠牲の違いとは

 

✨エイチの提供メニュー✨