実はかなり前に上げた記事を

がっつり、追記しました。

 

改めて同じ映画を見て

感じることが変わったので

書きたいなと思いました。

 

 

  • 自分を証明するために行動してないか
  • 自分を承認するとは何か
  • 私たちが幸せを感じるとは何か?

 

 

ガリレオの容疑者Xの献身です✨

 

 

 

こんにちは、エイチです✨

いつも読んでくださってありがとうございます✨

エイチはこんなひと

 

このブログでは

恋愛セラピストであり

 

お相手と7年越しの再会当日に

プロポーズ・結婚

今も愛し愛される日々を送る私が

 

恋愛で愛される許可を出し

パートナーと心の底から繋がるたの

本質的な気づきのシェアを

 

お伝えしています。

 

 

愛し愛される人生を手に入れたい方

ぜひ繋がってください✨

 

以下、過去記事です。

 

----------------------------

 

かつて天才と呼ばれたが

 

親の介護で人生の機会を失い

今ではうだつの上がらない男に

成り下がってしまった。

 

 

天才すぎるが故に

彼が愛する数学は

誰にも理解されないし

 

人生の役にも立たない。

 

 

 

生きる理由を失いかけ

 

何の役にも立たない

自分の人生にケリをつけようと

 

天井から吊るした縄に首をかけた瞬間

─ ─玄関のチャイムが鳴った。

 

 

「容疑者Xの献身」

 

 

この映画のタイトルが秀逸だと、

改めて観て思いました。

 

 

献身とは

ボランティアのことであり

無償の愛のことだ。

 

 

人生を一度捨てた男が

 

自身の人生を賭けて、

愛する女性へと身を捧げた話だ。

 

 

 

それは

 

役に立たなかった

自分の人生の証明でもあった。

 

天才と呼ばれた能力を持って

 

捨てた命を救ってくれた

恩返しでもあると同時に

 

自身の能力が人生で

初めて役に立った瞬間でもあった。

 

 

 

自己の証明だった。

 

 

 

それを最後に

 

愛する女性によって、

証明が破綻してしまったのだ。

 

 

 

 

松雪泰子さんが演じる女性が

堤真一さんが演じる
容疑者の石神を愛していたのかというと

 

 

罪悪感であるだけで

愛ではなかったのではないかと思った。

 

申し訳ないから。

 

人生を賭けたギフトを

送りかえされたようなものだ。

 

 

本人の罪悪感や正しさにより

 

 

 

誰もが振り返りもしなかった

その身の上を賭けて

 

愛する人を守ることで

 

 

 

自身の人生の証明をしようとした

 

一世一代の挑戦を

破られたと言うことだ。

 

 

なんとも残酷な話だと思った。

 

 

石神にとっては

 

花岡靖子が、

石神が立てた数式通りに

幸せになることが

 

自己の能力の証明であり

 

一度捨てたはずの

人生の証明であったのだ。

 

 

 

正しさというのは

人生を潰す最たるものかもしれない。

 

 

愛とは真逆なもののように思う。

 

 

 

-------------------

 

 

【ここからが追記】

 

今改めて映画を見ながら

この文章を読み

 

改めて思うことを書こうと思います^^

 

 

以前に書いた文章は、

石神(堤さん)の側から書いた文章ですが

 

 

今改めて見て

花岡靖子(松雪さん)の側から言うなら

 

人の犠牲の上に成り立つ

幸せを享受したところで

 

 

自分を承認できる人はいないのだと思います。

 

 

だから恋愛でも

 

  • 彼に一方的に尽くしたり
  • 彼のために生きている
  • 彼を中心に考えて動いてる 等

 

人に一方的に

何かをしてもらい続けると

相手の方も自分自身を

承認できなくなりそうです。

 

 

 

話を映画に戻しますと、

 

花岡恭子としては

 

彼女の罪を知り、

世界でたった1人自分を責めることができる

石神さんが刑務所に入りることで

 

罪を知る人間=責める人間が

身の回りにいなくなったとしても

(石神は責めないでしょうが)

 

 

実は責める人がいるのですよ。

 

 

それは誰でしょう?
誰が責めるのか。

 

 

 

 

警察ではないですよ。

答えは明確です。

 

 

自分です。

自分が自分を責めます。

 

 

 

とても自分を承認できないですよね。

一生、承認できないレベルだと思います。

 

 

 

承認できないから

松雪泰子(花岡)さんは

"受け取れなかった"

 

"受け取れられなかった"から

 

石神さんは

自己を証明するという

何者かになることよりも

 

愛されるという体験を得たのかもしれない。

 

 

 

 

そうであってほしいな。

 

 

-------------------

 

 

この映画は本当に、

 

幸せとは何かを

伝えてくれた気がしますね。

 

 

受け取られないことも辛いが

 

受け取ることができないものを

贈られることも辛い。

 

 

 

だから福山さん(ガリレオ)は、

 

この事件を解決しても

誰も幸せにならないと言って

逡巡していたのだなと笑

 

 

石神の人生をかけた証明のために

 

一生拭えない罪悪感(=一生の不幸)と

付き合わされるハメになるところだった花岡靖子(松雪さん)。

 

 

相手に受け取ってもらえないことも辛いが

相手が受け取れないような無償な愛も辛い。

 

 

でも、自分が罪を被ってでも

生かしてくれたその在り方が伝わったら

 

 

愛とは数式のように

割り切れるものではなくて

 

 

例えば、無償の愛が素晴らしい みたいにね。

 

 

愛とは複雑で

 

だけど誰かが

大切にしようとしてる

心が伝わったから

 

(逆を言うと、花岡さんには石神さん)

 

彼の愛を受け取らずに

彼を大切にしようと自首したのだろうし、

 

 

彼は自分で自分を証明する以上に
(証明すると言うのは、俺はこんなにすごいのだぞーと言うことね)

 

その松雪さんの愛=自首を表現されたことで

 

愛とは何かという葛藤に

咽び泣いてたように見えるなあ。

 

 

  • 受け取られなかった悲しみ
  • 証明できなかった悲しみ
  • だけど愛された喜び

 

 

わかりやすい幸せは

どこにもありませんが

 

 

  • 自分を承認できる自分であるために自首した花岡さんも
  • 命を賭けないと自分を証明できなかった男が命を賭して愛された体験

 

 

どちらも不幸せを感じる体験では

なかったかなと思いました。

 

 

この複雑さゆえに、

人や人生というものが愛おしてくて、

泣ける映画だなと思っています。

 

 

 

今日も最後まで

お読み頂き

ありがとうございました✨

 

 

何か役に立ったなと

感じる記事でしたら、

 

公式ラインのご登録

よろしくお願いします^^

 

インスタグラムも始めました✨

ストーリーズで色々呟いてるので

ぜひみてみてください!

 

 

 

 

✨エイチの提供メニュー✨