17時過ぎに夏至時間を迎えようとしていた日曜日の深夜、とうとう祖母が天に召されました。


99歳でした。


祖母が入院して以降、いよいよあぶなくなってきているらしいことを叔父から聞いてからは、なるべく祖母のそばにいるようにしていました。


最期の看取りとして、病院から祖母の部屋に戻ってからは、定期的に通ってくださる看護師さんやヘルパーさんのアドバイスを聞きつつ、最期の時期が呼吸の様子や酸素濃度の数値の変化などでなんとなくわかるようになっていました。


いよいよその夜、息も絶え絶えの祖母に最後のお別れにやって来た孫やひ孫の写真を見せると微笑む祖母の姿がありました。


祖母の耳元で「おばぁちゃんはもう自由だねぇ」と伝えました。


そして、ずっと祖母の介護をしていた母にも伝え、0時前に母がやって来ました。


不安定だった祖母の酸素濃度と脈の数値が少し安定したので、母がお嫁さんに「休んでください」と伝えて寝るためにお嫁さんの自室に上がって行ってすぐに祖母の呼吸が止まりました。


あれよあれよとあっという間でした。


祖母に「おばぁちゃん、ありがとう、、、よく頑張ったねぇ、、、お疲れ様(涙)」と伝えました。


自室に戻ったお嫁さんに下の階から声をかけて、救急に連絡を入れてもらいました。


少しして看護師さんがやって来て、生体反応が無くなったことを確認してもらい、旅立ちの準備を看護師さん、母、わたしでいろいろと整えました。


わたしのミッションは、祖母をひとりにしない、最期に付き添うでしたので、そのミッションが終わっり帰宅しました。


お通夜以降の式までのアレコレは叔父一族にまかせることにして、糸が切れてしまったように疲れてしまったのでゆっくりしています。


誕生と死。


生死のあわいは美しいと思います。


身内やペット、恋人など共に同じ時を過ごした大切な存在を失くすことやお別れは大きな心の喪失ですが、何度もそんな別れを重ね、喪失感とは個人的には大きな自由を得ることでもあるように思いました。


可愛がっていたペットの死を何度となく経験してその大きな喪失感に対して虚無的な思いもありましたが、大切な存在といつか迎える最期のお別れのあわいの時間はとても貴重なものであると思います。


尊敬してやまない大切な祖母の死を経験しそう思えるようになれたので、またいつかペットとの生活ができるような気持ちになれてきました。