恋人は3日から7日までドバイへ出張で、8日の20時過ぎに日本へ帰国します。


3日の土曜日は成田まで送りに行きました。


ドバイと日本は時差が5時間あり、日本時間の22時だと向こうは17時。まだお仕事をしているか、お仕事終わりにそろそろ会社の人とディナータイムかもしれません。


コロナ前後の5年ほど前にインドネシアに2年弱、駐在していた過去のある恋人ですが、当時半年付き合っていた日本のカノジョとは駐在ではなればなれになってからさらに半年程度お付き合いが続いたもののお別れしたそうです。その別れについてふたりが会えない距離と時差のことを話していましたが、わたしも距離と時差を体験してみてなんとなく気持ちが離れていくことがわかる気がしました。


同じ地球でも時差のある場所同士では、それぞれが別の時間軸にいるような感覚になります。


それは寂しいというより…つまらない感覚が大きいです。


心を許した人にそばに居て欲しい、それがわたしにとっての好きということなのかもしれません。


今日もお休みの旦那さんは、在宅勤務のわたしを置いて朝の7時からどこかへ出かけて行きました。


恋人だったら、きっとわたしのそばに居てくれます。


自由気ままで週一一緒に過ごせれば満足の旦那さんと、暇さえあればずっと一緒に過ごしたい様子の恋人。それは結婚しているという所有と結婚していないという非所有の感覚とが関係があるのか、はたまた性格などによるものなのか、まだはっきりとはわかりません。


先日恋人と彼の奥さんの話をしていて、LINEでしか会話しようとせず、顔すら彼と合わないように苦慮している奥さんの態度について、ちゃんと話し合ったら?と伝えた話の流れでなぜか「ぼくがひとりなったら、阿弥はぼくと結婚してくれる?」と言われたので「結婚したいの?…結婚するということは、離婚しなくちゃいけないからなぁ…」と応えました。「(結婚していない状態は)寂しいの?」と聞いたらそういうわけでもなさそうです。今も食事はひとりで、他の家族とほとんど会話もできず孤独で、それがなれてしまっているようです。


そして、その会話をあとから考えると、彼の結婚や離婚は彼と彼の妻との問題で、わたしの結婚と離婚はわたしとわたしの夫との問題であって、別物であると思いました。


お互いが既婚者同士とわかったうえで始まっている関係なので、彼が結婚生活を続けようがリセットしようが今のところわたしとの関係はあまり変わらないように思っています。


彼は今のところわたしとの時間を大切にしてくれているし、まったく問題を感じないからです。


彼の奥さまが彼を愛していて大事にしているようでしたら、わたしの気持ちや態度もちがっていたと思うのですが、奥さまは彼に対してあまりにも一方的な態度で、関係性の改善ものぞめないようなので、わたしも彼に情がわいてしまいます。


ただそのものの見方も奥さまから聞けるわけもなく、彼寄りの見方になってしまうので、気をつけないといけないところです。


仕事を終えて片付け中の恋人からLINEメッセージが届きました。LINEがつながるとやっぱりなんだかんだ、ほっとするものですね(՞ ᵒ̴̶̷̤-ᵒ̴̶̷̤՞)꜆♡