さて、最初のブログで書きましたが、我が家はまず、6年前に家族で挑んだ息子の小学校受験が残念な結果に終わっています。

 

 

 

この中で「何が悪かったんだろう、何が足りなかった、自分に息子に・・」と書きましたが

 

そもそもまず、この問いかけが間違っていたと、今となっては感じています。

 

息子に、足りなかった点など、何もなかったのです。

小学校受験で志望校から不合格を頂く結果となってしまった、どのお子さんにも、同じことが言えると私は思います。

そもそも月齢の違いで発達のスピードや成熟度も全く異なる中、ハサミでチョキチョキ、お絵描き描き描き、図形を見て数を数えて〜はい、できたかな〜?と今考えればなぜあのような幼児教育に驚異的なほどの多額のお金を支払ってしまったのか・・・。

 

いや、何も言いますまい。

良い社会勉強になりました。

子を想う親の気持ちが何にも変え難いほどに熱く重苦しいものだということを、あの頃の狂気じみたママパパ友達の(というか、おそらく自分も)様子から学ぶこととなり、

受験残念後にその後数年間も個人情報の横流しを系列の中学受験塾へと行なわれ定期的に個別指導の売り込みを受けることで塾産業というものの目的は息子の合格というよりもむしろ継続的な産業への支払いであるということを知りました。

 

また、その傷心のほんの2年ほど後には、某有名最難関小学校の合格には面接時に多額の寄付が可能か実際に働きかけがあったという話や

そもそも入試前に案内人とされる方に心付けを渡せていたかどうかが重要という話なども##ゲンダイなどで報じられるように。

 

最も仲が良かった、一緒に同じ小学校を目指して受験をしたお友達のご家族がめでたく合格して、

当初はとても辛い気持ちだったのですが、あちらは志望していた私立小へ、こちらは地元の公立小へ通い始めてからも、たまに連絡を取ったり一緒に遊んだりすることができる関係が続けられました。

 

ほぼ元華族、というぐらいの裕福なご家庭で、海外に別荘や大邸宅が複数。たまに誘ってくださいます。

そりゃあ、夫婦共働きでちっぽけな中古マンションのローンの支払いに学費の捻出もヒイヒイ言っている我が家に叶う相手ではございませんね。むしろ、そこで競われていたとしたら清々しいほどに諦めがつく気持ちになりました。

 

息子ではなかった。

我が家だった。

 

それが、6年前の経験から、小学校受験について自分の出した結論です。