Goal setting

ゴール(目標)設定

 

 

何かにつけ

私たちは目標を

設定する

 

 

 

年の初めや

何かをスタートする時には

抱負という名の

目標を立てる

 

 

それが

よいことだと

信じていたし

 

 

それが

当たり前だと

思っていた

 

 

 

学生の頃だったら

テストで○○点を取るとか

 

○○人友達を作るとか

 

社会人になったら

営業目標とか

 

 

願いを叶える

ということにおいても

目標を立てている人が

ほとんど

 

 

 

それは

願望実現において

 

願いは明確に

具体的にする

 

というのが一般的な説で

 

 

そうでなければ

叶わない

 

と思っている人が

多いから

 

 

 

 

でも

それは本当ではない

 

 

 

私たちの内なる存在は

人生を生きる中で

明確になった願いを

私たち以上に

知っていて

 

 

ヴォルテックスにすでに

用意されている

その願いに

いつでも

フォーカスしてくれている

 

 

だから

人間の私たちが

しっかりと目標を立てなくても

願いを明確に

具体的にしなくても

 

 

私たちが

大満足するものは

ちゃんと

用意されている

 

 

 

 

それに

目標を具体的に

すればするほど

 

 

その目標が

自分を苦しめることが

多くなる

 

 

 

なぜかというと

目標を見ているようで

目標と今の自分との

ギャップを見ている

ことが多いから

 

 

 

ギャップを見ると

苦しい

 

 

憧れの誰かがいて

その人のことを

純粋に見ている時は

気分がいいけど

 

 

その人と自分のギャップを見ると

とたんに

気分が悪くなる

 

 

苦しくなる

 

 

 

でも

ギャップを見ていることに

大半の人は

気付かない

 

 

気付かないから

苦しいまま

 

 

 

どうして

願いを叶えるのが

こんなにも苦しく感じるのか?

 

 

 

それに気づけない

 

 

 

 

 

 

 

だから

エイブラハムは

 

 

目標設定はざっくりと

という

 

 

 

なんなら

気分を目標にするのがいい

ともいう

 

 

安心感を味わいたい

喜びを感じたい

ワクワクを感じたい

 

 

こういった

気分の目標は

抵抗が出にくいからだ

 

 

 

 

気分じゃないものを

目標にするなら

非常にざっくりと

したほうが

抵抗が出にくい

 

 

例えば

「いついつまでに」

という期限を

設けているなら

 

 

「そのうち」

にした方が気が楽

 

 

 

「いついつまでに」

という具体的なものは

今とのギャップに

意識が向きがちだけど

 

 

「そのうち」になると

抽象的すぎて

ギャップも感じない

 

 

それで大丈夫なのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前山登りをした話を

書いたのだけど

 

 

 

 

あの話が

とってもいい例で

 

 

山の頂上を見ていたときは

頂上を見ているようで

今自分がいる場所と

頂上との距離(ギャップ)を

感じて

 

「まだまだだ」となり

気分が悪くなっていた

 

とても

しんどかった

 

 

 

だけど

頂上を見るのをやめよう

と決めてから

 

 

自分の足元だけを見て

(今目の前にあることだけを見て)

淡々と登っていたら

 

 

しんどさも感じず

思っていたよりも早く

楽に

頂上についた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目標を決めるのは

時に苦しさを

生んでしまう

 

 

 

目標を決めて

それを考えて

気分がいいなら

全然いいけど

 

苦しくなってしまうなら

目標や願いは

考えないほうがいいし

忘れてもいい

 

 

考えなくても

忘れても

願いが叶わなくなることは

絶対にないから

大丈夫!

 

 

 

そもそも

ゴールなどというものはなく

私たちは

永遠に願いを生み出し続ける

存在で

永遠に願いを生み出し続ける

場所で生きているのです

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も力をぬいて生きよう。