ちょっと重たい内容です。

流産した時の話なので、

だめな方は、今スルーしてください。



 

 


 

 

今日は、忘れられない七回目になるたまちゃん(仮名)の命日です。


当時、2、3日前まで、記録的な大雪で、二人目を妊娠初期(心音確認済み)だった私は仕事を休んで家にいました。


でも、モラ洗脳がどっぷりだった当時の私は、帰ってきた旦那の車が雪で入れないと、

やばいと思って(直接、雪かきしておけとは、言われてないのに、洗脳されてるから、勝手に尽くしてた。)

雪かきをせっせとして、おりました。


その日以降、妊娠発覚後も計りづつけていた基礎体温が急激に低下しました。

しかも、下腹にシクシクとした痛み‥

なんか‥これは‥怪しいと思って、病院に電話するとすぐ来てくださいとのこと。


大雪後で、路面状況は、今いちでしたが、もう雪は降っていなかったので、まだ小さかった娘の保育園のお迎えを旦那に頼んで、一足先に病院へ行きました。


病院は、とても混んでいて、旦那と娘があとから病院についた時もまだ診察はおわっていませんでした。


診察してもらうと

「心音がみえないね」と先生に言われました。

母子手帳ももらった後でしたし、予定日を楽しみにしていたので、

ショックすぎてその後どうしたのか、はっきりとはよく覚えないのですが、とりあえず、看護師さんに流産の処置の話をされて、週末にお腹の中をきれいにする手術を受けるため、同意書を書きました。


駐車場で、娘と車内で待っていた🦍には、すぐ話しており「残念だったね」などど優しい声をかけられた気がします。


病院を出た時、すでに夕飯の時間も過ぎていて、お腹のすいた、娘と🦍が何か食べにこいうと言ってきました。

けど、そんな気分になれなかったし、お腹がシクシクいたくて、ずーっと貧血のような状態だったので、「うーん。ちょっと食べれないかも」というと🦍は、仕事も抜けてきていたし、娘と待ち疲れて、イライラしてきた様子でした。


「じゃあ、近くでパンでも買って、家で食べよう」と言ってきました。


私も了承しましたが、夕方過ぎで溶けた雪が、凍ってきていて、路面状況があまり良くなかったのと、体調も精神的も限界だったので、

パン屋への道にも慣れてないから

🦍の車で、パン屋まで乗せていってほしい、

その後は病院から自分の車で帰るから

とお願いしました。


🦍「えー、やだよ!近いんだから、娘も乗せてナビ入れて、自分で運転しろよ。戻ってくるなんて時間の無駄だろ」

まー面倒だったんでしょうね。


結果

パン屋に向かう途中で、スリップして

新車を納車一ヶ月で壊しました。


赤信号で止まっていた、車に突っ込んだのですが、スピードはあまり出ていなかったので、

コツンと当たる程度だったので、だれにも怪我はありませんでした。


警察を読んで、旦那にも電話して話をすると

ムキー!!」


保険屋さん電話をして指示を仰ぎ、警察に事情を話していると🦍が迎えに来ました。多分、色々言われたんだと思うけど、覚えていません。


そして深夜、

お腹が痛くて目が覚めると大量出血していました。どぼどぼ、止められない位に血が出て、

たまちゃん、その血の中のどこかにいるんだろうなと、なんとなく感じていました。


次の日、痛みが落ち着いてから、再度病院に行くと、お腹の中はすっかりきれいなっているから、流産後の処置はいらないねと言われました。たまちゃんは、自ら去ってしまいました。


たらればは、嫌いですが

もし私がモラに洗脳されてなくて、寒い中必死に雪かきなんてしないで、お部屋であったくしてたら、たまちゃんは小学生になっていたはずです。

そんな思い出を自分自身で蓋をしていました。


今日は、たまちゃんを想って過ごしています。

たまちゃんの母子手帳や、お腹の中の写真には、いまだ触れません。


早くモラを制圧して、私を幸せにしたいです。