ブルキナファソを首都から一気に南下し、ガーナの海岸を目指す。
キレイに舗装されたアスファルトは予想以上に走りやすく、
ワガドゥグを出発し三日目でガーナに入国する事が出来た。
↓ブルキナファソからガーナまでの風景はこんな感じでした。





奥にガーナ国境があります。
ヨーロッパ諸国が線を引いて植民地統治していたアフリカでは、
主にフランス語が公用語の国が多く、その他にはポルトガル語や
ドイツ語、英語を公用語とする国もある。
ガーナは英語を公用語とする国であり、イギリス連邦加盟国でもある。
何度かロンドンに寄った事はあっても、自転車で旅をしている中では、
実は初めての英語圏である事に気がついた。
中国語、ロシア語、アラビア語、ヨーロッパ各国の言語、
アフリカに入ってからは専らフランス語のみ。
それでも英語は共通のコミュニケーションツールとして、
なんとかその役目をギリギリ果たしていた気がする。
しかしここでは老若男女が当然英語で会話をする事が出来る。
ガーナには50以上の民族が暮らし、その民族ごとに言語があるので、
街中では英語以外の言語で話す人も多く、言葉を使い分けている。
これはガーナに限った事ではなく、アフリカのどの国にも当てはまる。
言葉だけで言語を継承する、文字を持たない言語も多く、
この世には一体いくつの「言語」が存在するのか?と、不思議に思う。
またフランス統治とイギリス統治では町や村の見え方も変わり、
前時代的な土壁の家やワラの屋根などは極端に少ない。
経済的にも頭一つ抜けている印象が強く、
特にカカオの生産地としては有名である。
街中の物量はフランス統治の西アフリカ諸国とは比較にならない。
国民性は明るくフレンドリーで、他のアフリカ諸国と変わらないものの、
少々スレテいる印象があり、アジア人を馬鹿にする人がとても多い。
アジア人を見るなり「チャイナ!」「シンワ(中国人)」と叫ぶ。
日本の事は好きらしいのだが、日本人を怒らせるのも上手い。
「俺は日本人だ。お前らのやっている事は先進国ではやらない。
くだらない馬鹿な連中がやる事だ!」と何度も路上で口論した。
まあそんな事はアフリカを旅していれば一日数十回ある事で、
普段は無視しているのだが、イライラしている時は我慢出来ない。

ガーナのスローフード『フーフー』。よくお餅のようだと形容されているが、確かに餅っぽさもありながら、芋を練っているせいか「ハンペン」の様な感じもする。手で食べるのが普通で、最初はとんでもなく熱く、食べるのが不可能かと思わせる。
ガーナ国境から数十キロ離れた『ボルガ』に宿泊し、
『タマレ』と言うガーナ北部の大きな町に付いた頃に
呼吸がしにくい程に息苦しさを感じるようになった。


西アフリカ内陸の気温は日中と朝では15度近く差があり、
また砂埃や排気ガスの影響で体調を壊しやすい。
開発が急速に進む新興国の現状はどこも同じで、
自然環境よりも日常の生活環境の改善を優先する。
結果的には街中にゴミが溢れ、トラックが大量の砂埃を舞い上げる。
しかし数十年前の日本も公害で悩まされていたように、
コレらは発展の為には通らねばならぬ道なのだろう。
そんな環境の中を自転車で旅しているとなると、
汚染された空気を通常の数倍吸い込む事となる。
セネガルを出る頃からずっと喉の痛みと鼻水に悩まされていたが、
ここに来て体調が突然悪化し、気管支の痛みが気になる事もあり、
ガーナを途中まで走った後、アクラまでの約500kmはバス移動した。
そのまま病院で検査を受けて、ただの気管支炎だと分かり、
ゆっくり休むように医者から言われたので『アクラ』で連泊した。
同郷の野口英世博士が研究中に黄熱病で死去した国で、
郊外の病院には博士を記念した博物館も存在する。
ガーナも海岸線まで南下すると気候帯も変化し、
サバンナ気候から熱帯雨林気候となる。
日中の温度差も少なくなり、その分とんでもなく湿度が上がる。
東南アジアの雨期に似た蒸し暑さは、喉には良い気がするものの、
少し外を歩いただけで汗だくである。
アクラは予想以上の大都会で、以前は治安もそうとう悪かったらしいが、
現在はとても落ち着き、一人歩きしても危険を感じる様な事はほぼない。
(と、言っても時間と場所を選ばないとヤバいかもしれません。)
ナイジェリアビザの取得を試みるも、あっさり撃沈され、
ラストカントリーのベナンに全てをかける事にした。
ここ数ヶ月の間でナイジェリアビザは取得が難しくなっている。
年末はテロや誘拐事件も多いらしく、その影響かもしれないが、
連絡を取り合っている外国人達もことごとく取得出来ていない。
まあ何とかなるだろうし、最悪の場合も何とかすればいいだけの話で、
とりあえずベナンビザだけアクラにて取得し、体調の改善を待つのだった。
(各国大使館の場所がここ数年で移動しており、ガイドブックの地図だけでは辿り着けません。何度も泣かされました。)


キレイに舗装されたアスファルトは予想以上に走りやすく、
ワガドゥグを出発し三日目でガーナに入国する事が出来た。
↓ブルキナファソからガーナまでの風景はこんな感じでした。





奥にガーナ国境があります。
ヨーロッパ諸国が線を引いて植民地統治していたアフリカでは、
主にフランス語が公用語の国が多く、その他にはポルトガル語や
ドイツ語、英語を公用語とする国もある。
ガーナは英語を公用語とする国であり、イギリス連邦加盟国でもある。
何度かロンドンに寄った事はあっても、自転車で旅をしている中では、
実は初めての英語圏である事に気がついた。
中国語、ロシア語、アラビア語、ヨーロッパ各国の言語、
アフリカに入ってからは専らフランス語のみ。
それでも英語は共通のコミュニケーションツールとして、
なんとかその役目をギリギリ果たしていた気がする。
しかしここでは老若男女が当然英語で会話をする事が出来る。
ガーナには50以上の民族が暮らし、その民族ごとに言語があるので、
街中では英語以外の言語で話す人も多く、言葉を使い分けている。
これはガーナに限った事ではなく、アフリカのどの国にも当てはまる。
言葉だけで言語を継承する、文字を持たない言語も多く、
この世には一体いくつの「言語」が存在するのか?と、不思議に思う。
またフランス統治とイギリス統治では町や村の見え方も変わり、
前時代的な土壁の家やワラの屋根などは極端に少ない。
経済的にも頭一つ抜けている印象が強く、
特にカカオの生産地としては有名である。
街中の物量はフランス統治の西アフリカ諸国とは比較にならない。
国民性は明るくフレンドリーで、他のアフリカ諸国と変わらないものの、
少々スレテいる印象があり、アジア人を馬鹿にする人がとても多い。
アジア人を見るなり「チャイナ!」「シンワ(中国人)」と叫ぶ。
日本の事は好きらしいのだが、日本人を怒らせるのも上手い。
「俺は日本人だ。お前らのやっている事は先進国ではやらない。
くだらない馬鹿な連中がやる事だ!」と何度も路上で口論した。
まあそんな事はアフリカを旅していれば一日数十回ある事で、
普段は無視しているのだが、イライラしている時は我慢出来ない。

ガーナのスローフード『フーフー』。よくお餅のようだと形容されているが、確かに餅っぽさもありながら、芋を練っているせいか「ハンペン」の様な感じもする。手で食べるのが普通で、最初はとんでもなく熱く、食べるのが不可能かと思わせる。
ガーナ国境から数十キロ離れた『ボルガ』に宿泊し、
『タマレ』と言うガーナ北部の大きな町に付いた頃に
呼吸がしにくい程に息苦しさを感じるようになった。


西アフリカ内陸の気温は日中と朝では15度近く差があり、
また砂埃や排気ガスの影響で体調を壊しやすい。
開発が急速に進む新興国の現状はどこも同じで、
自然環境よりも日常の生活環境の改善を優先する。
結果的には街中にゴミが溢れ、トラックが大量の砂埃を舞い上げる。
しかし数十年前の日本も公害で悩まされていたように、
コレらは発展の為には通らねばならぬ道なのだろう。
そんな環境の中を自転車で旅しているとなると、
汚染された空気を通常の数倍吸い込む事となる。
セネガルを出る頃からずっと喉の痛みと鼻水に悩まされていたが、
ここに来て体調が突然悪化し、気管支の痛みが気になる事もあり、
ガーナを途中まで走った後、アクラまでの約500kmはバス移動した。
そのまま病院で検査を受けて、ただの気管支炎だと分かり、
ゆっくり休むように医者から言われたので『アクラ』で連泊した。
同郷の野口英世博士が研究中に黄熱病で死去した国で、
郊外の病院には博士を記念した博物館も存在する。
ガーナも海岸線まで南下すると気候帯も変化し、
サバンナ気候から熱帯雨林気候となる。
日中の温度差も少なくなり、その分とんでもなく湿度が上がる。
東南アジアの雨期に似た蒸し暑さは、喉には良い気がするものの、
少し外を歩いただけで汗だくである。
アクラは予想以上の大都会で、以前は治安もそうとう悪かったらしいが、
現在はとても落ち着き、一人歩きしても危険を感じる様な事はほぼない。
(と、言っても時間と場所を選ばないとヤバいかもしれません。)
ナイジェリアビザの取得を試みるも、あっさり撃沈され、
ラストカントリーのベナンに全てをかける事にした。
ここ数ヶ月の間でナイジェリアビザは取得が難しくなっている。
年末はテロや誘拐事件も多いらしく、その影響かもしれないが、
連絡を取り合っている外国人達もことごとく取得出来ていない。
まあ何とかなるだろうし、最悪の場合も何とかすればいいだけの話で、
とりあえずベナンビザだけアクラにて取得し、体調の改善を待つのだった。
(各国大使館の場所がここ数年で移動しており、ガイドブックの地図だけでは辿り着けません。何度も泣かされました。)

