
タイの熱気は今が冬である事を忘れさせる。
乾季の東南アジアは、蒸し暑さは夏程ではないものの、
砂埃と排気ガスが視界を霞ませながら舞い上がる。
さながら巨大な歓楽街のようなバンコクの街は、
朝から晩まで混沌とした熱気に包まれ、
そこに身をまかせながら皆「アジア」に染まって行く。
緩い空気と無秩序な生活の中において、
先を焦る気持ちは空回りするだけで意味を成さない。
バンコクに到着して、時差ぼけと季節感の狂いから、
しばらくは体が慣れずに苦労した。
カメラをタイの電気街で新しく購入し、更に
パソコンをネットで買い、日本から郵送してもらい、
再び装備を一通り揃えアジアを回ることにした。


↑旅立つ前から使っていたウェストバッグもボロボロになり、
同じものを買って送ってもらいました。いい味出てます。
バンコクを中心にあちこちを回る予定で、
現在はカンボジアの首都『プノンペン』にいる。
バンコク以上に熱気と喧騒に溢れるプノンペンは、
あまりにも無秩序で騒々しく狂気すら感じるが、
それがアジアの醍醐味でもあり、面白さでもあるので、
人ごみを掻き分け、怪しい客引きの声を聞き分け、
アジアの濁流を砂にまみれながら泳ぐ。

↑カンボジア国境の町コッコンの市場。

↑プノンペンの宿の前。

プノンペンでは特にやる事はないのだが、
ここを訪れたのなら一度は行っておきたい場所として、
70年代からポル・ポト政権下で行われた、ジェノサイドの
歴史を展示する博物館「トゥール・スレーン博物館」。
75年から78年にかけてポル・ポト派によって、
2万人が虐殺された現場である「キリング・フィールド」がある。
1953年にフランスからの独立を果たしたカンボジアは、
シアヌーク殿下のもと、中立国家として動き出したものの、
直後に起きた隣国のベトナム戦争に巻きこまれてしまう。
70年には親米派のロン・ノル政権によるクーデターが起こり、
更にその後にポル・ポト政権がロン・ノルを倒し恐怖政治を敷く。
都市部の住民は農村へ連行され、強制労働を強いられた。

↑キリングフィールド。約2万人がここで殺された。
塔の中は頭蓋骨が積まれている。

↑いまだに掘り起こされていない骨があちこちにあり、
敷地内の歩道からも骨が出ている。

↑敷地内にあるキリングツリー。
子供たちをこの木に打ち付けて殺していた。
ロン・ノル派の処刑に始まった大規模な粛清は、
罪のない人々を容赦なく虐殺し続け、わずか4年の間に
全国民の約3分の1の命がうばわれた。
1979年に親ベトナムのヘン・サムリン政権が成立し、
ポル・ポト政権は倒れたものの、彼らはジャングルへと逃げた。
しかしそれでもカンボジアに平和が訪れる事はなく、
プノンペン政府vs反ベトナム3派(ポル・ポト、シアヌーク、ソン・サン)
の内戦が勃発し、80年代を通じてばら撒かれた無数の地雷は、
未だに国内の至る所に残されている。
90年代に入りようやく国際社会が介入し平和への道が開かれ、
91年にはパリ会議で「カンボジア和平協定」が結ばれ、
内戦の終結、軍隊の武装解除、人権状況の監視が規定される。
FUNCINPEC党と人民党の連立政府が樹立し、新憲法が公布され、
シアヌーク殿下を王とした「カンボジア王国」が誕生した。
しかし、発足後わずか1年で人民党のクーデターが勃発。
連立両党首相の確執が激化する中で、96年には首都プノンペンで、
両党派が武力衝突し、これを人民党軍が制圧する。
フン・セン首相が実質政権を握るかたちになったのだが、
国際社会はこれを非難し、カンボジアに対して様々な援助を停止した。
窮地にたったフン・センは再び民主政権を目指すことを約束し、
98年の総選挙で首相になった。
またポル・ポトが死亡した事で反政府ゲリラ組織の「クメール・ルージュ」
がほぼ解体したことにより、ようやく平和への道を歩き出した。

これらはわずか10年程前の出来事であり、
街を歩く人々の多くが内戦を経験している。
クメール・ルージュの残党はほぼ壊滅したとされているが、
まだジャングルの中に潜んでるとも言われている。
全てを撤去するのは不可能と言われる地雷は、
国土のあちこちに未だ無数に埋もれており、
手足を失った人々は不自由な生活を強いられている。
騒々しい活気に満ちたプノンペンを歩く時に、
そんな暗く忌々しい過去は雑踏にまぎれてしまう。
カンボジアの歴史は再び新しく動き始めたばかりだ。
急成長するカンボジアの姿は目まぐるしく変化し、
6年前に訪れた時とは比べものにならない程、
都市や道路のインフラ整備が進められている。
中国資本の影響が大きいせいか、中国語が目立ち、
建物の作りや意匠も中国の新しい町並みに似ている。
ゆっくりと流れる東南アジア特有の時間の中、
平和を取り戻したカンボジアは休む事無く成長し続ける。
あと10年後にはどんな国になっているのであろうか?
少なくとも再び争いが起こらないことを祈りながら、
騒々しい街がもう少し静かになってほしい。
と、願うのであった。

↑これからシャムリアップに向かいます。
アンコールワットで正月を迎える予定。