エレヴァンは現在建設ラッシュで多くの建物が建てられており、
街のいたる所で工事が行われ急速に再開発が進んでいる。

アルメニアに着いてからはじめて降る雨は2日経っても止まない。

枯葉を無数に落とし、乾いた埃を洗い流す晩秋の雨は、
急ぎ足で迫る冬を迎え入れる最後の支度を済まそうとしていた。

足止めを食らった事を楽しみながらお茶を飲み街を眺めると、
アルメニアの赤い石がより美しく赤く染まっている事に気が付く。

街から北西に少し離れたツィツェルナカベルドと言う高台の上、
エレヴァンを見下ろす様に『アルメニア人虐殺博物館』がある。
トルコによるアルメニア人大虐殺の悲惨な様子を展示しており、
コーカサス地方へ来た際には必ず訪れようと思っていた。
メトロの北方向行き終点駅で降り、そこから徒歩で西へ約30分。
めずらしく汗ばむほど暖かい日の午後にそこへと足を運んだ。


アルメニア人虐殺博物館


第一次世界大戦の際、旧アルメニアであり現在のトルコ南東部
でロシア軍と交戦していたオスマン・トルコ軍は、キリスト教徒の
多いアルメニア人の反抗を危惧し、アルメニア人をシリアへ強制
移住させると同時に住民の大虐殺を行った。
オスマン・トルコ末期のアルメニア侵攻は悲惨で、特に1915年
からの一年間に100万人以上が殺されたと言う説もある。

敷地内に入るとレクイエムがどこからともなく緩やかに流れる。

丘の先端には大きな慰霊碑が立ち、すぐそばのモニュメントには
死んでいった者達を追悼する炎が消える事なく燃え続けており、
博物館の内部には当時の写真や文献、悲惨な虐殺の光景や
そこで暮らしていた人達の生活の様子を描いた絵画、アルメニア
政府が公認する年別の人口推移表などが展示されていた。

死者の数についてはトルコ側、アルメニア側で大きな開きがある
ものの、実際に70万人程は虐殺され、更に国民の半数以上が
国を追われ世界中へと散って行ったとされている。

現在でも人口350万人足らずのアルメニアでこの死者数は
異常であり、展示されている写真や絵画には狂気が溢れる。
アルメニア人画家が描いた悲惨な光景からは、ひとかけらの
希望すら感じることの無い「絶望の塊」の様な思いが放たれ、
その絵画の前に長い時間立っている事が出来なかった。
この絵を描いていた時の彼は、おそらく常軌を逸していて人の
顔をしていなかったのではないだろうかと思えてならない。

これら歴史的事件の見解は、見る者の立場や環境によって
様々な解釈が可能であり捉え方も変わってくる。
アルメニアが死者数を実際より多く表し、更にその後に起きた
トルコとの戦争で戦死した者の数も大虐殺の死者数に計上し
ているのも事実としてあり、トルコへの憎しみの表れでもある。
しかし当時のオスマン・トルコ軍が行った大虐殺も事実であり、
それによって運命を変えられた人々の恨みも想像に耐えない。

高台に灯る追悼の火は消える事無く燃え続けるのだろうか?

レクイエムは高台の上で透き通るように流れ続ける。

現在完全に閉鎖されているトルコとアルメニアの国境は、
そんな憎しみや悲しみが鎮まるまで開く事は無いだろう。

これから世代が変わる事でそれらの憎しみや恨みは薄らぎ、
少しずつでも歩み寄り、どこかで交わる事があるのだろうか?
「忘れてはならない事実」「忘れてしまいたい事実」
『アルメニア人虐殺博物館』はそんな2つの想いを、
ここを訪れる人々に訴えかけているのかもしれない。


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↑アルメニア南東部の町へと足を運んできました。
雪山、草原、岩山、湖、古都。一度に視界に飛び込む景色の
素晴らしさは非現実的に感じるほど刺激的でした。
それらの写真はまた後日!