夜を一つ越えるごとに冬が一歩ずつ近づいている。
遅い日の出が昇る頃に気温は0度近くまで下がり、
眠い目をこじ開けるように僕らを眠りから覚ます。
ここからトルコ国境までは、わずかな数十キロの距離にあり、
「ノアの箱舟」が漂着したと言い伝えられている『アララト山』が
晴れの日には街のどこからでも大きく望めるはずなのだが、
最近は靄がかすんで、そのシルエットすら見る事は出来ない。
『リダの家』の離れに泊まり早一週間が経とうとする。
『エレヴァン』の街にも慣れ、だいぶ土地勘もついてきた。
街中の建物は「ロゼ」を想わせる色の石で建てられ、街路樹や石畳と
あいまって、アルメニアを象徴する華やかで独特な色彩が映し出す
景色の中、宿から市場を経て街の中心部『共和国広場』まで毎日歩く。
通いなれたパン屋や酒屋の店員とは顔馴染みになっていた。
アルメニアでのロングステイなど予想もしていなかったのだが、
想像以上に美しい街並みと、独特の空気感や見所の多さに惹かれ、
じっくりとアルメニアを見て回ろうと思うのだった。
『エレヴァン』は中心地であっても派手さはあまりなく「都会の喧騒」と、
言った騒々しさを感じる事はほとんど無い。また少し郊外へ足を運ぶと
あっという間に周囲は山に囲まれ、牧草が茂る山には山羊や羊が群れ
を成す。辺り一帯は火山性の山地の為、何度も大きな地震に見舞われ、
崩れた斜面からは岩や石が露出している閑散とした景色が広がる。
アルメニアは九州より少し小さい面積でありながら、「世界遺産の宝庫」
とも呼ばれ、アルメニア正教会にまつわる修道院や神殿が多数残り、
その多くは郊外に点在しており、滞在中にいくつかを訪れる事にした。
『ガルニ神殿』
『エレヴァン』の南東約30kmに位置する、アテネのパルテノンを思わす
様な24本の支柱が象徴的な神殿は『太陽の神殿』と、呼ばれている。
AC3にアルメニアに要塞が築かれ当時の王が離宮として使用していた。
17世紀の大地震で神殿は全壊したものの1976年に修復された。
ユネスコの世界遺産としてはかなりの物足りなさと寂しさを感じるのだが、
再建された継ぎ接ぎだらけの『太陽の神殿』を眺めると、瓦礫の中から
使えそうなパーツを集めては周囲の違うパーツと重ね合わせ復元する、
途方も無い立体パズルを組み立てる事の困難さを伺い知る。
またそうまでしてでも、アルメニアの文化を後に継承しようとする頑なな
こだわりと信仰深いアルメニア人の実直さを感じるのだった。
神殿が建つ崖の先端から見下ろす深い渓谷は荒々しく雄大で、
目の前に広がる鮮やかな紅葉や、遠くに折り重なる山のシルエットなど
ここに立つだけで自然の作り出す様々な表情を一度に見る事が出来る。



『ゲガルド修道院』
ガルニから岩山に挟まれ更に6km道なりに進むと行き止まりとなり、
深い谷に囲まれた岩山の果てに洞窟寺院『ゲガルド修道院』は佇む。
起源は4世紀と言われているが、現在見られるのは13世紀の建築。
アルメニア人建築家と石工が岩を掘り抜き僧房や廟や聖堂を造った。
長い時間をかけて石は重厚感を増しながら茶黒く変色している。
遠めで風景の中に見る『ゲガルド修道院』は周囲の岩と同化し、
しっとりと、そしてひっそり身を隠す様に今にその姿を残していた。
ここに来るまでの公共交通機関は無く、観光客の姿もほぼ見かける
ことは無い。澄みきった空気と静寂の中、近くの小川を流れる水の
音がかすかに聞こえる。いつの時代のものかすからない装飾の施
された独特な形をした十字架が敷地内に無数に彫られていた。
聖堂の中には細い通路や小窓がいくつも掘りぬかれ、複雑に入り
組んだ通路を抜けると祈りを捧げる為の大きなホールが現れる。
その中では足音すらこだまし、言葉が時間をかけて消えてゆく。
一段と涼しい聖堂の中に集まった多くの祈りや願い達もまた、
激しくこだまし長い時間をかけて遠い誰かに届いたのだろう。




アルメニアの文化遺産は観光化が進んでおらず、面影やそこに
流れる空気までもが当時のまま残り続けているように思えた。
世界中には自然遺産や文化遺産を含め多くの美しく素晴らしい、
「後世に伝えるべき遺産」が存在するのだが、その多くは観光化
が進み人々が押し寄せ、利を得る為の周辺開発が進む。
アルメニアという世界的にも非常に行きにくい立地条件と、
国の経済状態もまだ安定しておらず観光化が進んでいない事で
アルメニアの遺産はほぼ手付かずのまま現代に残っている。
無償の信仰心がそれらの遺産を今に残しているのならば、
信仰心がなくならない限りそれらはこれからも残り続けるだろう。
我々はそんな彼らによって受け継がれた遺産の一部を、
少しの間だけ覗かせてもらっているに過ぎないのだ。
観光資源により生活が豊かになる事も大事ではあるが、
最も重要な事は「それらがなぜそこに在り続けるのか?」
と言った問いの中に隠れているのかもしれない。
アルメニアに限らず、コーカサス地方の歴史には戦火がつきまとい、
絶えず周辺国との争いが繰り広げられ、未だその火は燻り続ける。
その火が鎮火しこの地に多くの人が訪れる日は来るのだろうか?
人影の少ない山間の遺跡を訪れた時、
その答えに少し触れた様に思うのだった。


↑アルメニアは狭い国土の中に本当に多くの遺跡が点在します。
積雪が心配ですが、更に地方都市まで足を運ぼうと思ってます。
遅い日の出が昇る頃に気温は0度近くまで下がり、
眠い目をこじ開けるように僕らを眠りから覚ます。
ここからトルコ国境までは、わずかな数十キロの距離にあり、
「ノアの箱舟」が漂着したと言い伝えられている『アララト山』が
晴れの日には街のどこからでも大きく望めるはずなのだが、
最近は靄がかすんで、そのシルエットすら見る事は出来ない。
『リダの家』の離れに泊まり早一週間が経とうとする。
『エレヴァン』の街にも慣れ、だいぶ土地勘もついてきた。
街中の建物は「ロゼ」を想わせる色の石で建てられ、街路樹や石畳と
あいまって、アルメニアを象徴する華やかで独特な色彩が映し出す
景色の中、宿から市場を経て街の中心部『共和国広場』まで毎日歩く。
通いなれたパン屋や酒屋の店員とは顔馴染みになっていた。
アルメニアでのロングステイなど予想もしていなかったのだが、
想像以上に美しい街並みと、独特の空気感や見所の多さに惹かれ、
じっくりとアルメニアを見て回ろうと思うのだった。
『エレヴァン』は中心地であっても派手さはあまりなく「都会の喧騒」と、
言った騒々しさを感じる事はほとんど無い。また少し郊外へ足を運ぶと
あっという間に周囲は山に囲まれ、牧草が茂る山には山羊や羊が群れ
を成す。辺り一帯は火山性の山地の為、何度も大きな地震に見舞われ、
崩れた斜面からは岩や石が露出している閑散とした景色が広がる。
アルメニアは九州より少し小さい面積でありながら、「世界遺産の宝庫」
とも呼ばれ、アルメニア正教会にまつわる修道院や神殿が多数残り、
その多くは郊外に点在しており、滞在中にいくつかを訪れる事にした。
『ガルニ神殿』
『エレヴァン』の南東約30kmに位置する、アテネのパルテノンを思わす
様な24本の支柱が象徴的な神殿は『太陽の神殿』と、呼ばれている。
AC3にアルメニアに要塞が築かれ当時の王が離宮として使用していた。
17世紀の大地震で神殿は全壊したものの1976年に修復された。
ユネスコの世界遺産としてはかなりの物足りなさと寂しさを感じるのだが、
再建された継ぎ接ぎだらけの『太陽の神殿』を眺めると、瓦礫の中から
使えそうなパーツを集めては周囲の違うパーツと重ね合わせ復元する、
途方も無い立体パズルを組み立てる事の困難さを伺い知る。
またそうまでしてでも、アルメニアの文化を後に継承しようとする頑なな
こだわりと信仰深いアルメニア人の実直さを感じるのだった。
神殿が建つ崖の先端から見下ろす深い渓谷は荒々しく雄大で、
目の前に広がる鮮やかな紅葉や、遠くに折り重なる山のシルエットなど
ここに立つだけで自然の作り出す様々な表情を一度に見る事が出来る。



『ゲガルド修道院』
ガルニから岩山に挟まれ更に6km道なりに進むと行き止まりとなり、
深い谷に囲まれた岩山の果てに洞窟寺院『ゲガルド修道院』は佇む。
起源は4世紀と言われているが、現在見られるのは13世紀の建築。
アルメニア人建築家と石工が岩を掘り抜き僧房や廟や聖堂を造った。
長い時間をかけて石は重厚感を増しながら茶黒く変色している。
遠めで風景の中に見る『ゲガルド修道院』は周囲の岩と同化し、
しっとりと、そしてひっそり身を隠す様に今にその姿を残していた。
ここに来るまでの公共交通機関は無く、観光客の姿もほぼ見かける
ことは無い。澄みきった空気と静寂の中、近くの小川を流れる水の
音がかすかに聞こえる。いつの時代のものかすからない装飾の施
された独特な形をした十字架が敷地内に無数に彫られていた。
聖堂の中には細い通路や小窓がいくつも掘りぬかれ、複雑に入り
組んだ通路を抜けると祈りを捧げる為の大きなホールが現れる。
その中では足音すらこだまし、言葉が時間をかけて消えてゆく。
一段と涼しい聖堂の中に集まった多くの祈りや願い達もまた、
激しくこだまし長い時間をかけて遠い誰かに届いたのだろう。




アルメニアの文化遺産は観光化が進んでおらず、面影やそこに
流れる空気までもが当時のまま残り続けているように思えた。
世界中には自然遺産や文化遺産を含め多くの美しく素晴らしい、
「後世に伝えるべき遺産」が存在するのだが、その多くは観光化
が進み人々が押し寄せ、利を得る為の周辺開発が進む。
アルメニアという世界的にも非常に行きにくい立地条件と、
国の経済状態もまだ安定しておらず観光化が進んでいない事で
アルメニアの遺産はほぼ手付かずのまま現代に残っている。
無償の信仰心がそれらの遺産を今に残しているのならば、
信仰心がなくならない限りそれらはこれからも残り続けるだろう。
我々はそんな彼らによって受け継がれた遺産の一部を、
少しの間だけ覗かせてもらっているに過ぎないのだ。
観光資源により生活が豊かになる事も大事ではあるが、
最も重要な事は「それらがなぜそこに在り続けるのか?」
と言った問いの中に隠れているのかもしれない。
アルメニアに限らず、コーカサス地方の歴史には戦火がつきまとい、
絶えず周辺国との争いが繰り広げられ、未だその火は燻り続ける。
その火が鎮火しこの地に多くの人が訪れる日は来るのだろうか?
人影の少ない山間の遺跡を訪れた時、
その答えに少し触れた様に思うのだった。

↑アルメニアは狭い国土の中に本当に多くの遺跡が点在します。
積雪が心配ですが、更に地方都市まで足を運ぼうと思ってます。