「ブハラでは光は地から差し天を照らす。」
蒼の都『サマルカンド』を抜けて南西に280km。土に埋もれているかの様に
土レンガの茶色が街全体を覆い、多くのモスクやミナレットが、旧市街と共に
今も尚当時の雰囲気を残したまま現存する遺跡都市『ブハラ』。

2500年前から都市を築き、1220年にチンギスハーンによって滅ぼされた後、
16世紀のシャイバニ朝の時代に再建されたままその姿はほぼ変わらない。
当時の暮らしをそのままに、路地や水路や家並みを残したこの街へ
一度足を踏み入れた瞬間。あっという間に現世を超越した感覚を得た。
『サマルカンド』と比べると街は狭く、建物もこじんまりとはしているものの、
旧市街と遺跡群は複雑に絡み合い、共に発展を続けてきた事が見て取れ、
また石畳の路地や土煉瓦、土壁の色彩が調和の取れた町並みを築いている。
目的の宿へと行こうとするのだが、自転車の為容易には辿り着く事が出来ない。
地図上では大通りの筈が、実際は道が想像していたよりもかなり狭かったり、
道の途中が露店で埋め尽くされていたり、途中が階段で先に進めないなどして、
何度も迷い行き方を何人にも聞きながら進まなくてはならなかった。
ウズベキスタンでは『B&B(ベッド&ブレックファースト)』と、呼ばれる宿が増えており、
主に古い民家を改装しゲストハウスとして貸し出しているもので、ホテルよりは安い。
内装や家具なども宿ごとに個性的で、地域ごとの独特な文化を感じる事が出来る。
僕は1泊15ドル(朝食付)の『ナジーラ&アジズベック』と、言う1900年代初頭まで
ユダヤ人が住んでいた家をブハラ調に改装したB&Bに宿を取った。
『ブハラ』の街は小さく、「2日も滞在すれば十分だ。」と、聞いていたのだが、
街の雰囲気がよく、僕の趣味に合うのか知らないがもう少し長くいる事にした。
街のレポートはまた後日と言うことで。



↑遺跡や宿のほとんどが旧市街の中にあるため、どこを見ても絵になります。
オフシーズンでありながらヨーロッパ人観光客がかなり多くて驚きです。
サマルカンドの写真


↑青のドームの内側から上を見上げる。繊細な柄は金箔で描かれている。
ちなみに現在使っているpcのデスクトップにしています。
追伸:強盗に遭いました。
サマルカンド→ブハラ間280kmを、初日180km、2日目100kmで走ったのですが、
2日目60km地点くらいで、自転車に木材を載せたロシア系の男(36,7歳位)が
陽気に話しかけながら併走してきました。今までも似た様な事は何度かあり、
そのつど他愛もない話でコミュニケーションをとりながらしばらく走り別れます。
今回もそんな感じかと思っていたのですが、しつこくなかなか離れません。
「携帯電話を見せてくれ」と、言ってくるのですが、持って逃げる可能性を感じたら
普通は見せたり渡したりは絶対しません。
この時は昼間で交通量の多い国道を走っており、お互い自転車なので持ち逃げは
無いだろうと思っていたのですが、あまりにもしつこいので少しだけ見せたら、
「これはもう俺のものだ」的な事を言ってポケットに入れたので「返せ」と言ったら、
そのまま逃げれるはずも無いのにUターンし始め、頑なに返そうとしません。
農道へ逃げ込もうとしたので、小競り合いをしながら何とか食い止め「いい加減にしろ」
と怒鳴り散らしました。そのうち2人の青年が現れたのですが、こいつらも悪人でした。
何度か競り合い携帯は取り戻したものの、ロシア系とウズベク系の青年は僕の
ウエストポーチを引っ張りデジカメと金を狙ってきて今度はデジカメをとられました。
かなり腹が立ち再び怒鳴り散らすと、最初に携帯をとった男が何を怒ったのか
なにやら脅したような口調で強く胸倉を掴んで来たので、ついに喧嘩になりました。
2人の青年の内一人は気弱なのか何もせず、一人は僕を抑えようとしていたのですが、
暴れに暴れまくり格闘の末、強盗を蹴散らし全て奪い返す事に成功しました。
あの感じだと彼らはもう日本人には手出しはしないだろうと思います。
自転車で走って来ただけあり、流石に筋力や体力がついているのを実感したものの
出来る事なら争いは無いほうが良いし、可能な限り話し合いで解決したいのですが、
相手が一方的な悪意を持って迫ってきたら、そんな事は言ってられません。
もし僕が何の抵抗もなしに泣き寝入りしたら、彼らは同じ事を繰り返します。
ブハラに着いてすぐに聞いた事なのですが、つい先日もフランス人旅行客の男性が
数人にナイフで脅され、無抵抗のまま暴行をうけた挙句に金品を奪われたそうです。
今まで会ったウズベキスタンの人は、本当に明るく真面目で良い人ばかりでしたが、
こう言った事が起こると、どうしても様々な出来事に警戒を強めなくてはならないし、
本当の親切心すら疑ってしまいそうになります。
どこの国へ行っても悪い奴はいるもので、平和そうな日本だって油断しきれません。
しかし、あまり色々な事を疑い過ぎると視野を狭めてしまい楽しみも減ります。
強盗撃退後、ブハラへと走っている間にも同じように並んで走る自転車がいました。
子供を前に乗せたおじさんだったのですが、今思えば本当に好奇心と親切心で
僕に話しかけてきたのだと思いますが、その時の僕はほとんど無視の状態で、
自転車を走らせるペースを速めて巻く事に必死でした。
人に不快な思いをさせることで、更に不快な思いが誰かに伝染してしまいます。
「1つの争いを解決したつもりが、更なる多くの小さな争いを生み、またそれらが
大きな争いに変わる可能性を秘めている。」争いが終わらない由縁であり、
古くから続く構図であるなら、小さな出来事の段階で解決する必要があるのです。
一方的に略奪を進める者の前においての無抵抗主義には異論があるものの、
許せる段階で事を受け入れる寛容さは必要なのかもしれません。
今回の強盗未遂事件がきっかけで、この辺一帯の人々を疑おうとは思いません。
僕が携帯を渡さずそのまま走っていれば何も無かった事で、責任は自分にもあり、
高価な物を目の前に、強盗の彼も本来無かった悪意が膨れた可能性もあります。
考え出すときりが無いのですが、各国で最低限必要な警戒心を持ち合わせながら、
なるべく人を疑わずに旅を続けていこうと思うのでした。

↑ブハラの街でも沢山の写真が撮れそうなのでアップしたいのですが、
ネット環境の問題で写真をアップするのが困難です。夕方はほぼ繋がらない。。。
なんとかするので、乞うご期待!
蒼の都『サマルカンド』を抜けて南西に280km。土に埋もれているかの様に
土レンガの茶色が街全体を覆い、多くのモスクやミナレットが、旧市街と共に
今も尚当時の雰囲気を残したまま現存する遺跡都市『ブハラ』。

2500年前から都市を築き、1220年にチンギスハーンによって滅ぼされた後、
16世紀のシャイバニ朝の時代に再建されたままその姿はほぼ変わらない。
当時の暮らしをそのままに、路地や水路や家並みを残したこの街へ
一度足を踏み入れた瞬間。あっという間に現世を超越した感覚を得た。
『サマルカンド』と比べると街は狭く、建物もこじんまりとはしているものの、
旧市街と遺跡群は複雑に絡み合い、共に発展を続けてきた事が見て取れ、
また石畳の路地や土煉瓦、土壁の色彩が調和の取れた町並みを築いている。
目的の宿へと行こうとするのだが、自転車の為容易には辿り着く事が出来ない。
地図上では大通りの筈が、実際は道が想像していたよりもかなり狭かったり、
道の途中が露店で埋め尽くされていたり、途中が階段で先に進めないなどして、
何度も迷い行き方を何人にも聞きながら進まなくてはならなかった。
ウズベキスタンでは『B&B(ベッド&ブレックファースト)』と、呼ばれる宿が増えており、
主に古い民家を改装しゲストハウスとして貸し出しているもので、ホテルよりは安い。
内装や家具なども宿ごとに個性的で、地域ごとの独特な文化を感じる事が出来る。
僕は1泊15ドル(朝食付)の『ナジーラ&アジズベック』と、言う1900年代初頭まで
ユダヤ人が住んでいた家をブハラ調に改装したB&Bに宿を取った。
『ブハラ』の街は小さく、「2日も滞在すれば十分だ。」と、聞いていたのだが、
街の雰囲気がよく、僕の趣味に合うのか知らないがもう少し長くいる事にした。
街のレポートはまた後日と言うことで。



↑遺跡や宿のほとんどが旧市街の中にあるため、どこを見ても絵になります。
オフシーズンでありながらヨーロッパ人観光客がかなり多くて驚きです。
サマルカンドの写真


↑青のドームの内側から上を見上げる。繊細な柄は金箔で描かれている。
ちなみに現在使っているpcのデスクトップにしています。
追伸:強盗に遭いました。
サマルカンド→ブハラ間280kmを、初日180km、2日目100kmで走ったのですが、
2日目60km地点くらいで、自転車に木材を載せたロシア系の男(36,7歳位)が
陽気に話しかけながら併走してきました。今までも似た様な事は何度かあり、
そのつど他愛もない話でコミュニケーションをとりながらしばらく走り別れます。
今回もそんな感じかと思っていたのですが、しつこくなかなか離れません。
「携帯電話を見せてくれ」と、言ってくるのですが、持って逃げる可能性を感じたら
普通は見せたり渡したりは絶対しません。
この時は昼間で交通量の多い国道を走っており、お互い自転車なので持ち逃げは
無いだろうと思っていたのですが、あまりにもしつこいので少しだけ見せたら、
「これはもう俺のものだ」的な事を言ってポケットに入れたので「返せ」と言ったら、
そのまま逃げれるはずも無いのにUターンし始め、頑なに返そうとしません。
農道へ逃げ込もうとしたので、小競り合いをしながら何とか食い止め「いい加減にしろ」
と怒鳴り散らしました。そのうち2人の青年が現れたのですが、こいつらも悪人でした。
何度か競り合い携帯は取り戻したものの、ロシア系とウズベク系の青年は僕の
ウエストポーチを引っ張りデジカメと金を狙ってきて今度はデジカメをとられました。
かなり腹が立ち再び怒鳴り散らすと、最初に携帯をとった男が何を怒ったのか
なにやら脅したような口調で強く胸倉を掴んで来たので、ついに喧嘩になりました。
2人の青年の内一人は気弱なのか何もせず、一人は僕を抑えようとしていたのですが、
暴れに暴れまくり格闘の末、強盗を蹴散らし全て奪い返す事に成功しました。
あの感じだと彼らはもう日本人には手出しはしないだろうと思います。
自転車で走って来ただけあり、流石に筋力や体力がついているのを実感したものの
出来る事なら争いは無いほうが良いし、可能な限り話し合いで解決したいのですが、
相手が一方的な悪意を持って迫ってきたら、そんな事は言ってられません。
もし僕が何の抵抗もなしに泣き寝入りしたら、彼らは同じ事を繰り返します。
ブハラに着いてすぐに聞いた事なのですが、つい先日もフランス人旅行客の男性が
数人にナイフで脅され、無抵抗のまま暴行をうけた挙句に金品を奪われたそうです。
今まで会ったウズベキスタンの人は、本当に明るく真面目で良い人ばかりでしたが、
こう言った事が起こると、どうしても様々な出来事に警戒を強めなくてはならないし、
本当の親切心すら疑ってしまいそうになります。
どこの国へ行っても悪い奴はいるもので、平和そうな日本だって油断しきれません。
しかし、あまり色々な事を疑い過ぎると視野を狭めてしまい楽しみも減ります。
強盗撃退後、ブハラへと走っている間にも同じように並んで走る自転車がいました。
子供を前に乗せたおじさんだったのですが、今思えば本当に好奇心と親切心で
僕に話しかけてきたのだと思いますが、その時の僕はほとんど無視の状態で、
自転車を走らせるペースを速めて巻く事に必死でした。
人に不快な思いをさせることで、更に不快な思いが誰かに伝染してしまいます。
「1つの争いを解決したつもりが、更なる多くの小さな争いを生み、またそれらが
大きな争いに変わる可能性を秘めている。」争いが終わらない由縁であり、
古くから続く構図であるなら、小さな出来事の段階で解決する必要があるのです。
一方的に略奪を進める者の前においての無抵抗主義には異論があるものの、
許せる段階で事を受け入れる寛容さは必要なのかもしれません。
今回の強盗未遂事件がきっかけで、この辺一帯の人々を疑おうとは思いません。
僕が携帯を渡さずそのまま走っていれば何も無かった事で、責任は自分にもあり、
高価な物を目の前に、強盗の彼も本来無かった悪意が膨れた可能性もあります。
考え出すときりが無いのですが、各国で最低限必要な警戒心を持ち合わせながら、
なるべく人を疑わずに旅を続けていこうと思うのでした。
↑ブハラの街でも沢山の写真が撮れそうなのでアップしたいのですが、
ネット環境の問題で写真をアップするのが困難です。夕方はほぼ繋がらない。。。
なんとかするので、乞うご期待!