北京オリンピック直前の中国では、ローラースケートが空前の大ブームである。
路地や広場では、小学校低学年から中学生くらいまでの子供達が
あちらこちらから集まり、技を競い合い練習を重ねている。
彼らはただ滑って遊ぶというよりも、しっかり滑りを極めるために
20人程の集団をいくつも作り、インストラクターから指導を受けている。
インストラクターも厳しく、フォームが悪い子供や覚えが悪い子供には
手袋でビシビシとかぶっているヘルメットを叩くなど、
体育会系の指導方針で表情も険しい。
子供達も真剣で、遊んでいるという雰囲気ではない。
中にはふてくされて半泣きの女の子などもいるのだが、
インストラクターは容赦なく更にビシビシと指導を繰り返す。
広い中国全土で同時にブームが起きているようで、
ユースホステルに集まる旅人も皆同じような光景を目にしてきた。
中国のローラースケートブームは日に日に高まっており、
真剣な表情をみると、オリンピックにあわせて
何かしらのマスゲームでもやるのかと想ったほどだった。
(実際にどこかの地域ではやるかもしれない。)





子供が遊んでいるのも眺めながらの世間話。

子供が遊んでいる横では太極拳や不思議なラインダンスや
健康体操的な事をしているちゃqんたちおばちゃん達。
僕が小学生の頃には『光GENJI』が一世を風靡しており、
世にローラースケートブームが巻き起こったのだが、
その当時はただただ近所で少し乗るくらいで、
本格的に極めようとか、本気で遊んだ覚えはなく、
いつの間にか飽きていつの間にか忘れ去られていった。
遊びをより面白くしようと思った時、
そこには真剣さや緊張感が必ず必要である。
ルールや縛りや勝ち負けがあるからこそ、
それを攻略する為の策を練り、互いを意識しながら
技を磨く努力をし、悔しさや喜びを経験する事ができる。
今までの旅路でも子供達の遊びをいくつか見てきたのだが、
彼らは一つ一つの勝負を真剣に楽しんでいた。
大人達もあちこちの路上で、仕事そっちのけに
昼間から賭け事をしており、それらを身近に見ているせいか、
遊びに対しての表情も喜怒哀楽にあふれており、
真剣に悩みながらも、勝負が終わると大笑いしている。
緊張と緩和にこそ遊びの極意が隠されているように思える。
遊びを楽しむとは勝ち負けを楽しむことでもあり、
ローラースケートのような遊びであっても、他人より上手くなりたい、
今出来ない技をマスターしたいなど、常に何かを越える為に遊ぶのだ。
それを思うと、中国の子供達は貪欲に遊びを楽しんでいるように思える。
日本では、遊びや勉強の場に保護者が介入するケースが多く、
勝ち負けや優劣をつける事に対して神経質になりすぎる傾向が強まっている。
実際の子供達がどう思っているのかは知らないが、
幼児期、思春期の多感な時期に遊びから得るものは、
一生の感性に大きな影響を与え、人格を形作るといっても過言ではない。
オリンピックで皆の首にメダルを掛けようとしているようなものだ。
しかしオリンピックに向けて一生懸命努力した選手に対しては、
これ以上にない冒涜であり、意味のない本末転倒な茶番になってしまう。
新疆の夜は短く、午後9時を過ぎてやっと夕暮れが辺りを包みだす。
広場の石畳の上に軽快に響くローラーの音は、
日が暮れ辺りにスターライトが散らばるまで続くのだった。


↑
競い合い抜きに出る事に貪欲になっている若い中国人。
競う事を拒み平均点を取ろうとする日本。
「最終的には競争社会に放たれる事になるのになー」
路地や広場では、小学校低学年から中学生くらいまでの子供達が
あちらこちらから集まり、技を競い合い練習を重ねている。
彼らはただ滑って遊ぶというよりも、しっかり滑りを極めるために
20人程の集団をいくつも作り、インストラクターから指導を受けている。
インストラクターも厳しく、フォームが悪い子供や覚えが悪い子供には
手袋でビシビシとかぶっているヘルメットを叩くなど、
体育会系の指導方針で表情も険しい。
子供達も真剣で、遊んでいるという雰囲気ではない。
中にはふてくされて半泣きの女の子などもいるのだが、
インストラクターは容赦なく更にビシビシと指導を繰り返す。
広い中国全土で同時にブームが起きているようで、
ユースホステルに集まる旅人も皆同じような光景を目にしてきた。
中国のローラースケートブームは日に日に高まっており、
真剣な表情をみると、オリンピックにあわせて
何かしらのマスゲームでもやるのかと想ったほどだった。
(実際にどこかの地域ではやるかもしれない。)





子供が遊んでいるのも眺めながらの世間話。

子供が遊んでいる横では太極拳や不思議なラインダンスや
健康体操的な事をしているちゃqんたちおばちゃん達。
僕が小学生の頃には『光GENJI』が一世を風靡しており、
世にローラースケートブームが巻き起こったのだが、
その当時はただただ近所で少し乗るくらいで、
本格的に極めようとか、本気で遊んだ覚えはなく、
いつの間にか飽きていつの間にか忘れ去られていった。
遊びをより面白くしようと思った時、
そこには真剣さや緊張感が必ず必要である。
ルールや縛りや勝ち負けがあるからこそ、
それを攻略する為の策を練り、互いを意識しながら
技を磨く努力をし、悔しさや喜びを経験する事ができる。
今までの旅路でも子供達の遊びをいくつか見てきたのだが、
彼らは一つ一つの勝負を真剣に楽しんでいた。
大人達もあちこちの路上で、仕事そっちのけに
昼間から賭け事をしており、それらを身近に見ているせいか、
遊びに対しての表情も喜怒哀楽にあふれており、
真剣に悩みながらも、勝負が終わると大笑いしている。
緊張と緩和にこそ遊びの極意が隠されているように思える。
遊びを楽しむとは勝ち負けを楽しむことでもあり、
ローラースケートのような遊びであっても、他人より上手くなりたい、
今出来ない技をマスターしたいなど、常に何かを越える為に遊ぶのだ。
それを思うと、中国の子供達は貪欲に遊びを楽しんでいるように思える。
日本では、遊びや勉強の場に保護者が介入するケースが多く、
勝ち負けや優劣をつける事に対して神経質になりすぎる傾向が強まっている。
実際の子供達がどう思っているのかは知らないが、
幼児期、思春期の多感な時期に遊びから得るものは、
一生の感性に大きな影響を与え、人格を形作るといっても過言ではない。
オリンピックで皆の首にメダルを掛けようとしているようなものだ。
しかしオリンピックに向けて一生懸命努力した選手に対しては、
これ以上にない冒涜であり、意味のない本末転倒な茶番になってしまう。
新疆の夜は短く、午後9時を過ぎてやっと夕暮れが辺りを包みだす。
広場の石畳の上に軽快に響くローラーの音は、
日が暮れ辺りにスターライトが散らばるまで続くのだった。

↑
競い合い抜きに出る事に貪欲になっている若い中国人。
競う事を拒み平均点を取ろうとする日本。
「最終的には競争社会に放たれる事になるのになー」