気がつくと何故か「仲介役」になってしまっている姐さん…
事の発端は、姐さんの祖母が亡くなった時。
姐さんの母親は先に北海道の函館にいた。
祖母が亡くなった時に、母から電話があった。
「今お祖母ちゃん亡くなったの…」
泣きながらの声に、姐さんは焦る事無く言った。
「解った。後はこっちに任せて良いから…ね」
そして電話を切った後、関東の親族に連絡を取り、
弟の会社に電話をして状況を説明していた。
「弟には仕事が終わってから伝えてください。
今は仕事の時間なので、そのまま仕事をさせていて欲しいんです。
ただ、明日はお葬式に出ると告げてください」
姐さんの弟は知的障碍を持つ自閉症者。
仕事の途中で祖母の死を話したら、イレギュラーになる。
だから、最後まで仕事をさせてもらっていた。
そのままネットに向かい、飛行機の切符を人数分手配。
そして飛行機会社に連絡をして障碍者割引の人間がいる事を告げ
実家へ荷物を持ってお子様と向かった。
そのまま実家の近くのコンビニで飛行機代を払う。
親族には「空港に集合して出かける」と連絡をして
次の日にすぐに飛行機に乗り、函館に向かったのを覚えている。
小雪の舞い散る函館で、祖母に逢ったが、
その時姐さんは、子供を見ることに必死で、祖母が死んだ実感がなかった。
(結局、1ヵ月後に1人で函館に行き、祖母が死んだ事実を受け入れる事になる)
今回は相方君の伯母さんに関して…
姐さんは相方君の伯母さんが特養に入居する前の見学から
相方君と一緒に出かけている。
もっと前から言えば…亡くなった義父さんのいた頃から…
義伯母さんが一人で住んでいて、
グループホームに入るとかそう言う時にも関わっていた。
通院のときも姐さんが病院に一緒にいき、病院で診察を受ける義伯母を見ている。
話し相手にもなっていた。
つい最近、特養に入居した義伯母の様態が悪化して、
「看取り介護」が始まったと特養から告げられた。
相方君と一緒に「看取り介護」に関する説明と義伯母の状況を聞き、
相方君が「看取り介護に関する同意書」にサインをしていた。
そして…夜に相方君以外の甥(義兄と義弟)に電話をして状況説明。
もらってきた「看取り介護サービス計画書」をコピーして送る手配も整えた。
血を分けた親族でもないけど、気がつくとそういう席に姐さんはいる。
そして、姐さんが介護に関して、特養やグループホームの説明をする。
成年後見人さんもいるので、その方とも連絡を取っている。
それも気がつけば姐さんの役目の様になってしまった…
何時から「仲介役」になったんだろう?
ふと思いながら好きな音楽を聴く。
そして思い出したのは、祖母だった。
泣きながら電話をしてきた母の事を、今でも忘れない。
普段はすごく元気で、強い母なのに…
自分の親の死に目に会えた、その事と、きっと強がっていた事が
一気に崩れてしまったのだろう…
医師から「ご臨終です」の言葉を聞いて、すぐにかけてきたであろう電話。
いつもの元気な声はなく、弱ゝしく…そして少しパニックになっている声だった。
だから姐さんは一言
「わかった。後はこっちでやるから良いよ」としか言わなかった。
こっちまでパニックになってはいけない。
冷静に、どう考えても姐さんじゃないもう一人の自分が淡々と
物事を進めていた気がする。
今後もそんな感じなんだろう…
そして、それはきっとこれからも変わらないんだろう…
なんだか感情を失ったAndroidのようだ。
正直な所…未だに本当に祖母が死んだと言う事実は
きちんと受け入れられていないんだろうと思う。
まだ、昔住んでいた家で…
小さなお釜でご飯を炊き、ふのりの味噌汁を作り、
イカを捌いてイカそうめんを作って…
「まってたよ。さ、朝ごはん食べようね」
そう言われる気がしてならない…
今、姐さんは義伯母さんに何をしてあげられるだろう?
認知症が進んで、会話のキャッチボールなんてまともに出来ないけど
姐さんは、いつも義伯母に逢うと手を握って話をする。
「大丈夫だよ」「心配することないよ」
そう声をかけることしか出来ない…
こんな姐さんでいいのかな?
事の発端は、姐さんの祖母が亡くなった時。
姐さんの母親は先に北海道の函館にいた。
祖母が亡くなった時に、母から電話があった。
「今お祖母ちゃん亡くなったの…」
泣きながらの声に、姐さんは焦る事無く言った。
「解った。後はこっちに任せて良いから…ね」
そして電話を切った後、関東の親族に連絡を取り、
弟の会社に電話をして状況を説明していた。
「弟には仕事が終わってから伝えてください。
今は仕事の時間なので、そのまま仕事をさせていて欲しいんです。
ただ、明日はお葬式に出ると告げてください」
姐さんの弟は知的障碍を持つ自閉症者。
仕事の途中で祖母の死を話したら、イレギュラーになる。
だから、最後まで仕事をさせてもらっていた。
そのままネットに向かい、飛行機の切符を人数分手配。
そして飛行機会社に連絡をして障碍者割引の人間がいる事を告げ
実家へ荷物を持ってお子様と向かった。
そのまま実家の近くのコンビニで飛行機代を払う。
親族には「空港に集合して出かける」と連絡をして
次の日にすぐに飛行機に乗り、函館に向かったのを覚えている。
小雪の舞い散る函館で、祖母に逢ったが、
その時姐さんは、子供を見ることに必死で、祖母が死んだ実感がなかった。
(結局、1ヵ月後に1人で函館に行き、祖母が死んだ事実を受け入れる事になる)
今回は相方君の伯母さんに関して…
姐さんは相方君の伯母さんが特養に入居する前の見学から
相方君と一緒に出かけている。
もっと前から言えば…亡くなった義父さんのいた頃から…
義伯母さんが一人で住んでいて、
グループホームに入るとかそう言う時にも関わっていた。
通院のときも姐さんが病院に一緒にいき、病院で診察を受ける義伯母を見ている。
話し相手にもなっていた。
つい最近、特養に入居した義伯母の様態が悪化して、
「看取り介護」が始まったと特養から告げられた。
相方君と一緒に「看取り介護」に関する説明と義伯母の状況を聞き、
相方君が「看取り介護に関する同意書」にサインをしていた。
そして…夜に相方君以外の甥(義兄と義弟)に電話をして状況説明。
もらってきた「看取り介護サービス計画書」をコピーして送る手配も整えた。
血を分けた親族でもないけど、気がつくとそういう席に姐さんはいる。
そして、姐さんが介護に関して、特養やグループホームの説明をする。
成年後見人さんもいるので、その方とも連絡を取っている。
それも気がつけば姐さんの役目の様になってしまった…
何時から「仲介役」になったんだろう?
ふと思いながら好きな音楽を聴く。
そして思い出したのは、祖母だった。
泣きながら電話をしてきた母の事を、今でも忘れない。
普段はすごく元気で、強い母なのに…
自分の親の死に目に会えた、その事と、きっと強がっていた事が
一気に崩れてしまったのだろう…
医師から「ご臨終です」の言葉を聞いて、すぐにかけてきたであろう電話。
いつもの元気な声はなく、弱ゝしく…そして少しパニックになっている声だった。
だから姐さんは一言
「わかった。後はこっちでやるから良いよ」としか言わなかった。
こっちまでパニックになってはいけない。
冷静に、どう考えても姐さんじゃないもう一人の自分が淡々と
物事を進めていた気がする。
今後もそんな感じなんだろう…
そして、それはきっとこれからも変わらないんだろう…
なんだか感情を失ったAndroidのようだ。
正直な所…未だに本当に祖母が死んだと言う事実は
きちんと受け入れられていないんだろうと思う。
まだ、昔住んでいた家で…
小さなお釜でご飯を炊き、ふのりの味噌汁を作り、
イカを捌いてイカそうめんを作って…
「まってたよ。さ、朝ごはん食べようね」
そう言われる気がしてならない…
今、姐さんは義伯母さんに何をしてあげられるだろう?
認知症が進んで、会話のキャッチボールなんてまともに出来ないけど
姐さんは、いつも義伯母に逢うと手を握って話をする。
「大丈夫だよ」「心配することないよ」
そう声をかけることしか出来ない…
こんな姐さんでいいのかな?