学生の頃、東京のある街で三畳一間の部屋に住んでいた。

小さな冷蔵庫を置いて、布団を敷いたらそれで丁度という狭さでトイレは共同、風呂は銭湯だった。

夕食はインスタントラーメンばかり食べていた。


仕送りとバイトで食べていたが、隣の部屋にいる友人と人生で初めて居酒屋へ行くことになった。



その店が「ときわ」。


夫婦でやっている、ろばた焼きの店で、店主は映画俳優のようなカッコいい男だった。

奥さんは赤ちゃんを背中にオブって働いていた。


時々お金があった時に通うようになった。

ショートホープを吸いながら、サワーを飲んでいた。

貧乏な若者だったので、随分と安くしてくれたのだと思う。


そのうち、店が閉店したら、店主に大人の店に連れて行ってもらうようになった。

店主はどこへ行っても女性からモテた。

だから、すぐに私を置いていなくなってしまった。

私はそこで大人の男としての様々な作法を学んだ。

そういう場所にはヤ○ザもいるし、礼節を守らなければ殺される。

そういう雰囲気だった。


ある年末年始、実家に帰るお金がなくて、三畳のアパートにずっといた。

イケメン店主は昼間に「生きてるか?」と毎日見に来てくれた。

しまいに金払わなくていいから、店で食べろと。

 

しばらくして、この店でアルバイトすることになった。


仕事は焼鳥の串刺し。


私は鶏肉が嫌いだ。

見るのも辛い。

いやいや仕方なくやっていた。


この店が、ろばた焼きを辞めてスナックに改装することになった。

私の仕事は、カラオケのセット。

女性客のデュエットの相手。

客から酒を戴いて一緒に飲む。


今で言うホストに近いようなものだ。


この生活もなかなか楽しかったが、酔った女性の相手は疲れるのだ。


朝気がついたら、見知らぬ場所で見知らぬ人と寝てたりした。


その街は居心地が良かったが、大学へ通うには遠い街で、留年してしまったのでやがて大学の前に引越してしまった。

 

それから三、四年経って、社会人になり酔っ払ってから「ときわ」へ行った。

 

不義理したことを偉く怒られた。

 

あまりに酷く怒られたので、それから行ってない。

どうしているだろうか、あの店は。


藤城さん、生きてるだろうか。

まさか山岳ガイドになってるなんて思いもしないだろう。