今日、夏の甲子園が終わった。
いつも思い出すことがある。
私は小学校から高校まで野球部で、高校の時は父の仕事の関係で新潟にいた。
高校二年生の秋に電車に乗っていたら、他校の不良五人に囲まれた。
私は頭が五厘刈りだったので、誰が見ても野球部だった。
野球部だから出場停止が怖くて、手を出せないとわかって絡んで来た。
その理不尽さが許せなくて、絡んで来た奴をボコボコにした。
その事件は、乗客から高校に連絡がいってすぐにバレた。
私は無期停学。
高野連に報告したら、野球部は半年間の出場停止。
秋の北信越大会に参加できなくなった。
NHKの全国ニュースにもなった。
私は初めて事の重大さを知り、どん底の日々を過ごすことになった。
でも、私が救われたのは、一番恨まれるであろう野球部の監督と部員達が復帰に向けて、学校に働きかけてくれたことだ。
朝練に参加して、帰宅して自宅謹慎の日々が続いた。
学校は自主退学に持ってきたかったようだが、野球部のみんなの嘆願で復学することになった。
野球部の出場停止も春に解け、三年最後の夏の大会には間に合った。
私はレギュラーポジションの一番センターで出て三安打を放つことができた。
監督はすでに死去された。
もう、あれから40年近くになるが、甲子園を見るたびに仲間の大切さを思い出す。
あの時、乗り越えられた自信も糧となっている。