思いついて3歳の龍也と佐渡へ行ってきました。
富山駅から新幹線とほくほく線を乗り継いで直江津駅へ。
タクシーで港へ行ったら予約した小木港行のフェリーが時化のため欠航。

呆然…

また、タクシーを呼んで直江津駅に戻って、富山へ帰ろうと思いましたが、発車時間が一時間以上あるので、一番早く発車する越後湯沢駅行に乗りました。
車内でネット予約で湯沢のホテルを取り、湯沢駅に到着。
しかし、フロントの態度がどうしても許せず、怒鳴りつけてキャンセル。
このホテルは仕事でよく使うホテルなのだが、二度と絶対泊まらないぞ!

また、湯沢駅に戻り東京行の新幹線の切符を買いましたが、乗ってしまったのは新潟行でした。

こうなったら「新潟へ行こう」と。
ホテルマンである弟を頼って、新潟駅前のホテルに宿泊。

翌朝は佐渡汽船へ。
紆余曲折あったが、結局、新潟から佐渡へ向かうという予想しない展開になってしまった。

今回、なんで佐渡へ行こうかと思ったかというと、私が中学2年生の時に友達と自転車で佐渡を一周したことがあり。それ以来40年ぶりの佐渡がどうなっているか見てみたいと思ったのです。
その頃に流行った自転車はウインカーとかの電装品がやたら付いたサイクリング車で、その電装品が暗いトンネルで有効だったことは覚えています。

今回はレンタカーを借りて、当時の記憶を思い出しながら走ったが、まったく思い出せず、尖閣湾とか佐渡金山などが印象に残っている程度。
なにしろ40年前のことだから。

しかし、今考えれば親はよく中学2年生の子ども達を佐渡に行かせたものだなあ。

私の親は、特に父親は仕事ばっかりしていて無趣味の典型だった。
ほとんど、どこにも連れて行ってもらった記憶がない。
その反動で今の私は世界中を飛び歩いているのだ。

私の両親ともに亡くなっているので、一緒に遊んだ記憶があまりないことはとても哀しい。
自分の5人の子どもには、なんでもやらせてあげたい。どこにでも連れて行ってあげたい。と思う。

山岳ガイドなどという仕事をしていると、この世からいついなくなるとも限らないので、遊べる時は有効にと考えています。

今回はローカル線やバス、タクシーなどいろいろ新潟の交通網を使いましたが、様々な人間模様が見えてなかなか興味深かったです。
この話は、またいつか紹介したいネタです。

佐渡で一番変わったと思ったのは、ツアー登山の数が凄いんですね。
金北山なんでしょうか。

フェリーに乗る時も2等席に添乗員らしき人が弾丸のように走って行き、シートを広げて席を確保したり、改札前には大量のザックだけが並んで人はおらず。
路線バスに乗る時は一社で席を占領されて、個人客は私と龍也がふたりでポツンと立っていたり。
集団の圧力はもの凄いですね。
私も登山ツアーの仕事を受ける事がありますが、集団のパワーを個人の方に負担掛けないように気を付けなければと改めて思います。