画像直った!
ボッティチェリの記事を書いたのが3年前?くらいだが、なんだか没後500年ってことで、また仲間が書き出したら、いよいよ記事を更新せざる得なくなったわけ。


過去記事 サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli


この過去記事で紹介したシスティーナ礼拝堂を再投稿することに。あのときに書ききれなかったことを少々。


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「モーセ の 試練」


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「反逆者たちの懲罰」


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「キリストの試練」


さて、ボッティチェリが最初にシスティーナ礼拝堂に描いたのが、「モーセの試練」だ。エジプト人の殺害、エジプトを去るモーセ、羊飼いの娘の解放、神にひれ伏すモーセ、奴隷たちと脱出するモーセが描かれている。


ここにはカテリーナ・スフォルツァが描かれている。


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左のモーセの妻ツィポラ(チッポラ)がカテリーナ


モーセは5つの場面に登場するから、同じ服のモーセが5人描かれている。ところが神にひれ伏すモーセ・・・、6人いるじゃないか。


この「モーセの試練」は南壁の二面目にある。


カテリーナ・スフォルツァに関しては

記事 Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ

記事 カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)の謎 ボッティチェッリ プリマヴェーラから



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「反逆者たちの懲罰」は、五面に描かれている。中央にローマのコンスタンスティヌス帝の凱旋門。1453年に陥落したコンスタンティノープル。


右の群集の端にいるのがボッティチッェリらしい。が、左にもモーセの後ろにいる人物ともよく似ている。だが、「東方三博士の礼拝」時より10年ほど経過しているので、その自画像と比べると別人物にみえないかぃ?


記事 「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫


小書斎にボッティチェリがデッサンした寄木細工も持つフェデリーコは、この作品の38年前、ピエロ・デッラ・フランチェスカに依頼した「キリストの鞭打ち」には、このコンスタンティノープルを陥落させたスルタン人が描かれている。


ボッティチェリを擁護していたロレンツォの敵でもあるが、二人の一時の関係も記事中にあるので読んでみてください。


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過去記事に書きそびれたこと、それがスフォルツァ家のことだ。メディチ家への「イモーラ」の割譲が法王の甥とカテリーナ・スフォルツァの結婚によりジローラモとカテリーナの領地となる。

イモーラにおいては法王とメディチ家、法王の資金調達ではメディチ家とパッツィ家と、メディチ家はこの両者の結びつきで、のちのパッツィ家の陰謀と発展することになる。


ちなみにパッツイ家の礼拝堂記事はこちら 「サンタ・クローチェ教会


このシスティーナ礼拝堂は、いわば法王とメディチ家の和解でもある。法王シクストゥス4世は、美術家の派遣にはボッティチッェリを特別に指名した。


左にはカテリーナ・スフォルツァ、隣がカテリーナの母、ミラノ公スフォルツァの愛人で、絶世の美女といわれたルクレティーア、そして異母弟、ミラノ公スフォルツァとなる。


ちなみにフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの妻はこのスフォルツァ家である。


左は過去記事でも扱ったが、「キリストの試練と癩者清め」の薪を持っているのだ。