入学式の季節のようで

新しい生活が始まる人が

沢山いる様ですね。



今日、私も

なんだか気持ちに区切りがついて

前に進もうと思えました。


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『まぁ君』

パパの事をそう呼ぶ人は

殆どいなくて



私の親戚と

CちゃんKちゃん夫妻だけ



長女が生まれてすぐに

もう少し広い部屋に引っ越ししようと

都内から松戸に引っ越した時、


我が家の下の階に住んでいたのが

福岡から転勤で松戸に来ていた

CちゃんKちゃん夫妻。


パパが

サラリーマンだった時期

転職した時期

脱サラした時期

起業して上手くいかなかった時期

新たに会社を作った時期

会社を大きくしていった時期



ずっと見守っていてくれて

応援してくれて

お金が厳しい時には

毎晩のようにご飯を食べさせてくれていた

私たち家族の恩人で親友。




去年、パパが亡くなった事を知らせた時

信じられない!

そんな事がある?



そう言って

一緒に悲しんでくれた。



今回、

CちゃんKちゃん夫妻に会いたくて、

福岡に行ってきました。



CちゃんKちゃんが

空港まで迎えにきてくれてから



車の中でも



海の前でも


ご飯を食べながらも


神社を巡りながらも


Cちゃんたちのおうちでお布団に入るまで

ずっとずっと



今回どんな事が起こったのか

近況やら

昔の想いで話やら

話し続けていました。




今では、パパは

塾長、社長、キタノさん

そう呼ばれる事が殆どで


『すごい人だった』

『パワフルな経営者だった』と

言われるようですが



CちゃんとKちゃんが知る

20代後半まぁ君は違ったようで


『まぁ君はあんまり話さんかったよね。』

と、物静かなイメージなのだとか。



『でも、仕事については

俺に熱く語ってくれたとよ。』


『えっちゃんや子どもたちに

いい暮らしさせてやりたいって

言っとったとよ。』


『だから私、えっちゃんに

今はほんましんどいやろけど

まぁ君について行きって

言っとったもんね。』


『よぅ頑張りやったよね。』


『仕事のあとに

焼肉屋にバイトも行ってたやんね。

夜中に階段上がる音がして

まぁ君、今帰ってきたんやろなって

ほんま頑張りよったもんねぇ』



あん時、まぁ君が

こんな事言った

あんなこと言ったと



私が忘れている様なことも

まぁよく覚えていてくれて



『私たちの中のまぁ君は

あの時のまぁ君のままやけん、、』


そう言ってくれたことが、

なんでだか

私はとても嬉しかった。




あの頃の私たちは

起業と初めての子育てと

同時進行でがむしゃらだった。



そんな私たち家族を

すぐそばで

ちゃんと見ていてくれた人がいた。



だからこそ

私の今の悔しさを

ちゃんとわかってくれる。



一緒になって

悔しがって泣いてくれる人が

ここにいた。



それだけで

私はとても救われた気持ちになり




なんだかんだ言って

これまで未練がましく

しがみついていた物から

パッと手を離せた気がした。




帰りの飛行機


帰る前にCちゃんが言ってくれました。



えっちゃんの幸せを願っているよって


うん、幸せにならなきゃ。





これからやっと

新しく始められる気がしています。




4月だもんね。


悦子の次の章を

始めるとしよう。



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