shelter -8ページ目

shelter

精神的な病気と約20年

そんなわたしの本音


現在闘病記執筆中
(休筆中)

始めて行った精神科は
当時の最寄りの駅前のクリニック。

ちょっと歳をとった、
お爺さんと言っていいくらいの先生。


診察を終えて言った言葉が、

「これを読んで感想を書いてきて下さい」

と、渡された本が

南条あやの「卒業式まで死にません」



わたしの正直な気持ちは

は?何言っとるん?

といった感じで、
しかも既にネットで読んだこともあった。



やっと勇気を出して精神科に行き、
これでなんとかなるのかと思っていたわたしは
本当にがっかりした。


苦しさを主張しても、
出された薬は抑肝散という漢方薬のみ。


試しに何日か飲んではみたが、
何ひとつ変化はなく。

効かない事に対して余計苛々したり。



当時は家族内での秘密事が多く、
例えば家族の誰かが病気でも
詳しく話をするなんて事もなかったし、

わたしは子供の頃から
元気でいなくてはいけなかった。

兄が小さな頃から身体が弱かった為、
共働きの両親に心配をかけまいと
子供ながらもそう振る舞うようになり、
元気でいる癖がついてしまっていた。


先に書いたように、
その時の親との不仲もあったし、
親には内緒で病院に行ったけれど
やはり母は鋭い。


わたしがこっそり捨てた漢方薬のゴミを見つけ
抑肝散という名前から、

「あんた肝臓でも悪いんか?」

と聞いてきた。

「いや、ちょっと寝つきが悪くて。
その薬や」

とだけ答えた。



後から母が直接話してくれたが
この時母も精神的に参っていて
クリニックに通っていたらしい。


お互いそれを知らず、
神経質になって喧嘩をし、
ストレスの元を増やしていた。




わたしはほんの数回、
駅前のクリニックに通ったが、
何も解決はしないことや、
医師に理解してもらえないことから
診察後余計に憂鬱になるので

開きもしていない「卒業式まで死にません」
だけ返しに行って、
そのまま帰宅したきり行かなくなった。


精神科なんて役に立たない。


そう思ってまた1人になり、
自ら憂鬱の波に益々飲まれていくようになる。







※先生との相性などもあると思います。
これはあくまでも当時のわたしの場合です。