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精神的な病気と約20年

そんなわたしの本音


現在闘病記執筆中
(休筆中)

たった数回の通院で、
精神科は役に立たないと
勝手に決めつけて行かなくなった。


大学にも行く事はほとんどなかった気がする。


ただ、どんなに苦しくても
居酒屋のバイトは行くようにしていた。


ある日、バイト先で
同じ時期に入った仲のいい男友達から突然、

「リストカットしたん?」

と笑いながら聞かれた。


「何が?そんなわけないやん笑」

わたしはさらっと流していたけど、
この人は気付いていたらしい。


これはただの冗談で、
まだバレていないと思ったわたしは
なるべく切る場所を二の腕にしようと決めた。


一方で、居酒屋の制服は
腕まくりしなければ傷痕は見えない筈、
何故あんな事を言ってきたんだ?
少し焦る気持ちもあった。



苦しみをぶつける場所も人も中々見つからず
それを自傷で抑え続けたわたしの腕は、
ここ数年で切る回数は格段に減ったものの、
最後に自傷をしてからだいぶ経った今でも
傷痕だらけです。


何年か前から、
これはわたしが必死に生きた証だ、
と思えるようにはなったけど。





もう、憂鬱で憂鬱でどうしようもなく、
眠れないし、自傷も激しくなっていって、
これはやはり駄目だと思ったわたしは
今度は近くの総合病院の精神科に行く事にした。



担当になった医師はまだ若そうな女性。

少しだけ、ホッとした。


自分は医師の前では冷静になったり、
上手く病状を伝えられないから
いけないんじゃないか、
そう考えてルーズリーフ一枚に
今の悩みを綴って持って行っていた。


こちらの話を聞いてくれる医師ではあったけど、
わたしの印象は、

頼りないな。



薬は最初によく出されるデパスを処方された。


デパスは内科でも出されるような安定剤なので
あまり効果を感じる事はなかったけど、
何回か通っていくうちに
処方薬が増えていったような気がする。




バイトも辞めて部屋にひきこもり、
消えてしまいたくて
お酒と薬を飲みながら血を流す日々。

もう二の腕だとか言ってられなくて、
右腕全体がズタズタになっていく。

頭や腕を壁にぶつける癖もあった。



ノートに日記を書いていたが、
消えたい、死にたい、もう嫌だ
そんな言葉が何回繰り返されたことか。

 


究極に憂鬱になった時、
突然笑いが込み上げてくることがあった。


わたしはそれを

ハル

と名付けた。



「ハル」というのはきっと、
今の自分とは違う、
明るくて幸せな自分。


ハルだけは、幸せになってね。


そう考えるようになった。