今夜はフと時間が空いたので映画を観ましたよ。もちろん V FOR VENDETTA を。今年の見納めかなあ。
さすがに師走。忙しくってVに思いを馳せる時間がなかなか取れず、バタバタとしてしまっていましたが・・・。やっぱり最後はVで締めくくらなければ!今夜は良い夜だった!
すっかりブログ記事を書く頻度も下がって来てしまい・・・さすがに一作品についてそこまで興味は続かないものなのか・・・いや、興味や熱が冷めるというのではなく、ただ特筆すべき発見みたいなものが無くなってくるだけなのだ。でもそうやってどんどん忘れて行ってしまうんだろうね。悲しいねえ。それは自然なことなのだろうけど、私には裏切りのように思えて辛いのだ。
しかしこの数週間、公私ともに慌ただしくしていたものの、ちゃんとVに絡んだ探求を続けていたのだ。『Vフォー・ヴェンデッタ』 原作者のとアラン・ムーア繋がりで、『ウォッチメン』 の映画を観て原作コミックを読んだ私は次に、 『フロム・ヘル』FROM HELL にも手を出してみたのです。今はちょうど上巻を読み終わったところ。まだ下巻がまるまる残ってる。絵が抽象的過ぎるのもあるけど、ものすごい難解ですね。でも楽しく読んでいます。下巻も楽しみであります。Vと出会ってなければ、『ウォッチメン』にも『フロム・ヘル』にも触れてなかったと思うのでVに感謝です。
あと、こないだ飛行機に乗る機会があったとき、機内サービスで観られる映画リストのなかに『リーグ・オブ・レジェンド』があったので観てみたのです!『リーグ・オブ・レジェンド』もアラン・ムーアのコミック "The League of Extraordinary Gentlemen" が原作なのですよね。実は途中で寝落ちしてしまったので(飛行機に乗ってると堪らなく眠くなる)、途中の展開は分からないのだけど、目覚めたらちょうど「実は私が真犯人なのだよフフフフ」というくだりだったのでラッキーでした。自発的に観る機会は無いかなあ・・・と思っていた作品だったので、良い機会でした。よかった。途中で寝ちゃったけど。
しかしWikipediaによると原作コミックと映画はまったく別物と言っていいほど違うものになっているそうなので、原作の The League of Extaordinary Gentlemen も気になるところです。
ひとまずフロム・ヘルを読まなきゃだけどね。
恐怖を克服したイヴィーはシャドウ・ギャラリーを出て行ってしまう。出て行くイヴィーと見送るVのやり取りは観ているのがつらくなるんだけど…、このときVはどういう心境だったんだろうか。
Vは、出て行くというイヴィーに対して、「わかっている。」「もう鍵のかかったドアはない」と言い、引き止めはしない。手紙を書いたのはVだと思っているイヴィーを、Vはヴァレリーの聖廟へ連れて行く。恐らくは彼の、シャドウ・ギャラリーの一番の深淵だったんだろうと思う。その場所へイヴィーを案内する。
ヴァレリーが実在することを、手紙を書いたのがVではなかったことを知らせれば、イヴィーが思いとどまるのではないかと期待したのかな?って、私はまた女脳的にそう思っていたのだけど、ここはやはり哲人V、そんな動機では動かないだろうな。
自分と同じ経験をして、同じようにヴァレリーの手紙によって覚醒したイヴィーには、ヴァレリーが実在の人物であることを知らせるべきと最初から考えていたんだろうと思う。
ヴァレリーが実在したこと、あの手紙が本当にヴァレリーという女性が書いたものであるという事実は、イヴィーの精神をより強く保ってくれるはずだし、それを知らないことには覚醒は完了しなかっただろうと思う。
ヴァレリーの聖廟を見せれば、イヴィーの強さがより確かなものになり、そうすればイヴィーは本当にVを必要としなくなりシャドウ・ギャラリーを去って行くことになるだろうと、Vには解っていたんだろう。
ヴァレリーの聖廟に案内するということは、Vにとっては、その仮面の下を覗かせるのと同じくらいの意味があることだったんじゃないかと思うわ。
しかし彼を唯一理解できる存在となったはずのイヴィーは、それでもやはりVの復讐には共感しなかった。覚醒後のイヴィーに理解されなくて、一体他に誰が彼を理解し共感し支持することができるんだろう?でもイヴィーがVに突き付けた答えは"MONSTER" だったんだ。Vは空虚感を味わったんだと思うなあ。
イヴィーは拷問を受ける前後でまるで別人のように変貌を遂げた。それがこの映画の肝の一つだと思う。だけど、この時のイヴィーの発言には『なぜそんなことを…!』と恨まずにはいられない。Vったら、黙って俯いちゃったしゃないか!
このとき、自分の復讐心をイヴィーに理解されなかったことが、後に新しい世代を代表としてイヴィーに地下鉄のレバーを委ねることを考えるきっかけになったんだろう。
このときはVはまだ、イヴィーに対する自分の恋心に気付いていなかったかもしれない。イヴィーが自分と同じように覚醒したことをVはきっと喜んだと思うし、自分の元を去って行くことも予見できていたコトのはずなのに、この胸を裂くような辛い気持ちが何なのか、はっきり分からなかったかも、と思ったりする。
または、薄々気付きつつあるその恋心を認められずにいたのかもしれない。『まさか、この私が恋をするなど…、あり得ないことだ…。』なんて、戸惑っていたかも?
イヴィーが出て行ったあと鏡で自分の姿を見て、イヴィーにMONSTER と言われてしまったこと、「血の復讐」を理解されなかったことなどを考えた。心に穴が空いたような言いようも無い喪失感に襲われたかもしれない。そして、こんなにも辛く、淋しいのが何故なのか、気付いたのかもしれない。『まさか、本当に自分は彼女に恋をしているのか。』そして同時に、『彼女に否定された』のだということも。
Vがヴァレリーの隣の監房に閉じ込められて拷問を受けていたということはイヴィーに伝わったけど、そこで恐ろしい人体実験までもが行われていたことや、Vがその唯一の生き残りであったこと、プロセロやリリマンの罪などまでは伝わらないですよね?なんというか…『女相手には、ちゃんと言葉で言わないと伝わらないのよ!V!!』って言いたくなる…。私たちはラークヒルの地獄を知っているけど、肝心のイヴィーはそこまで把握せずにVをモンスター呼ばわりだなんて…!!もう!ヒドイ!
まーー、ぜんぶ想像というか妄想なのですけど、この段階でVは観客の心を確実にグワシッと鷲掴みにしたことでしょう。こういうVの憂いがなんとも言えずイイのです。特に女性には堪らんでしょうな?
最近は原作コミックの鉄人的というか超人的なVもカッコいいなぁと思うようになったんだけど、それでもやっぱりこの映画版Vにはメロメロなのです!
Vは、出て行くというイヴィーに対して、「わかっている。」「もう鍵のかかったドアはない」と言い、引き止めはしない。手紙を書いたのはVだと思っているイヴィーを、Vはヴァレリーの聖廟へ連れて行く。恐らくは彼の、シャドウ・ギャラリーの一番の深淵だったんだろうと思う。その場所へイヴィーを案内する。
ヴァレリーが実在することを、手紙を書いたのがVではなかったことを知らせれば、イヴィーが思いとどまるのではないかと期待したのかな?って、私はまた女脳的にそう思っていたのだけど、ここはやはり哲人V、そんな動機では動かないだろうな。
自分と同じ経験をして、同じようにヴァレリーの手紙によって覚醒したイヴィーには、ヴァレリーが実在の人物であることを知らせるべきと最初から考えていたんだろうと思う。
ヴァレリーが実在したこと、あの手紙が本当にヴァレリーという女性が書いたものであるという事実は、イヴィーの精神をより強く保ってくれるはずだし、それを知らないことには覚醒は完了しなかっただろうと思う。
ヴァレリーの聖廟を見せれば、イヴィーの強さがより確かなものになり、そうすればイヴィーは本当にVを必要としなくなりシャドウ・ギャラリーを去って行くことになるだろうと、Vには解っていたんだろう。
ヴァレリーの聖廟に案内するということは、Vにとっては、その仮面の下を覗かせるのと同じくらいの意味があることだったんじゃないかと思うわ。
しかし彼を唯一理解できる存在となったはずのイヴィーは、それでもやはりVの復讐には共感しなかった。覚醒後のイヴィーに理解されなくて、一体他に誰が彼を理解し共感し支持することができるんだろう?でもイヴィーがVに突き付けた答えは"MONSTER" だったんだ。Vは空虚感を味わったんだと思うなあ。
イヴィーは拷問を受ける前後でまるで別人のように変貌を遂げた。それがこの映画の肝の一つだと思う。だけど、この時のイヴィーの発言には『なぜそんなことを…!』と恨まずにはいられない。Vったら、黙って俯いちゃったしゃないか!
このとき、自分の復讐心をイヴィーに理解されなかったことが、後に新しい世代を代表としてイヴィーに地下鉄のレバーを委ねることを考えるきっかけになったんだろう。
このときはVはまだ、イヴィーに対する自分の恋心に気付いていなかったかもしれない。イヴィーが自分と同じように覚醒したことをVはきっと喜んだと思うし、自分の元を去って行くことも予見できていたコトのはずなのに、この胸を裂くような辛い気持ちが何なのか、はっきり分からなかったかも、と思ったりする。
または、薄々気付きつつあるその恋心を認められずにいたのかもしれない。『まさか、この私が恋をするなど…、あり得ないことだ…。』なんて、戸惑っていたかも?
イヴィーが出て行ったあと鏡で自分の姿を見て、イヴィーにMONSTER と言われてしまったこと、「血の復讐」を理解されなかったことなどを考えた。心に穴が空いたような言いようも無い喪失感に襲われたかもしれない。そして、こんなにも辛く、淋しいのが何故なのか、気付いたのかもしれない。『まさか、本当に自分は彼女に恋をしているのか。』そして同時に、『彼女に否定された』のだということも。
Vがヴァレリーの隣の監房に閉じ込められて拷問を受けていたということはイヴィーに伝わったけど、そこで恐ろしい人体実験までもが行われていたことや、Vがその唯一の生き残りであったこと、プロセロやリリマンの罪などまでは伝わらないですよね?なんというか…『女相手には、ちゃんと言葉で言わないと伝わらないのよ!V!!』って言いたくなる…。私たちはラークヒルの地獄を知っているけど、肝心のイヴィーはそこまで把握せずにVをモンスター呼ばわりだなんて…!!もう!ヒドイ!
まーー、ぜんぶ想像というか妄想なのですけど、この段階でVは観客の心を確実にグワシッと鷲掴みにしたことでしょう。こういうVの憂いがなんとも言えずイイのです。特に女性には堪らんでしょうな?
最近は原作コミックの鉄人的というか超人的なVもカッコいいなぁと思うようになったんだけど、それでもやっぱりこの映画版Vにはメロメロなのです!
恐怖を克服したイヴィーはシャドウ・ギャラリーを出て行ってしまう。出て行くイヴィーと見送るVのやり取りは観ているのがつらくなるんだけど、このときVはどういう心境だったんだろうか。
Vは、出て行くというイヴィーに対して、「わかっている。」「もう鍵のかかったドアはない」と言い、引き止めはしない。手紙を書いたのはVだと思っているイヴィーを、Vはヴァレリーの聖廟へ連れて行く。恐らくは彼の、シャドウ・ギャラリーの一番の深淵だったんだろうと思う。その場所へイヴィーを案内する。
ヴァレリーが実在することを、手紙を書いたのがVではなかったことを知らせれば、イヴィーが思いとどまるのではないかと期待したのかな?って、私はまた女脳的にそう思っていたのだけど、ここはやはり哲人たるV、そんな動機では動かないだろうな。
自分と同じ経験をして、同じようにヴァレリーの手紙によって覚醒したイヴィーには、ヴァレリーが実在の人物であることを知らせるべきと最初から考えていたんだろうと思う。
ヴァレリーが実在したこと、あの手紙が本当にヴァレリーという女性が書いたものであるという事実は、イヴィーの精神をより強く保ってくれるはずだし、それを知らないことには覚醒は完了しなかっただろうと思う。
ヴァレリーの聖廟を見せれば、イヴィーの強さがより確かなものになり、そうすればイヴィーは本当にVを必要としなくなりシャドウ・ギャラリーを去って行くことになるだろうと、Vには解っていたんだろう。
ヴァレリーの聖廟に案内するということは、Vにとっては、その仮面の下を覗かせるのと同じくらいの意味があることだったんじゃないかと思うわ。
しかし彼を唯一理解できる存在となったはずのイヴィーは、それでもやはりVの復讐には共感しなかった。覚醒後のイヴィーに理解されなくて、一体他に誰が彼を理解し共感し支持することができるんだろう?でもイヴィーがVに突き付けた答えは"MONSTER" だったんだ。Vは空虚感を味わったんだと思うなあ。
イヴィーは拷問を受ける前後でまるで別人のように変貌を遂げた。それがこの映画の肝の一つだと思う。だけど、この時のイヴィーの発言には『なぜそんなことを…!』と恨まずにはいられない。Vったら、黙って俯いちゃったしゃないか!
このとき、自分の復讐心をイヴィーに理解されなかったことが、後に新しい世代を代表としてイヴィーに地下鉄のレバーを委ねることを考えるきっかけになったんだろう。
このときはVはまだ、イヴィーに対する自分の恋心に気付いていなかったかもしれない。イヴィーが自分と同じように覚醒したことをVはきっと喜んだと思うし、自分の元を去って行くことも予見できていたコトのはずなのに、この胸を裂くような辛い気持ちが何なのか、はっきり分からなかったかも、と思ったりする。
または、薄々気付きつつあるその恋心を認められずにいたのかもしれない。『まさか、この私が恋をするなど…、あり得ないことだ…。』なんて、戸惑っていたかも?
イヴィーが出て行ったあと鏡で自分の姿を見て、イヴィーにMONSTER と言われてしまったこと、「血の復讐」を理解されなかったことなどを考えた。心に穴が空いたような言いようも無い喪失感に襲われたかもしれない。そして、こんなにも辛く、淋しいのが何故なのか、気付いたのかもしれない。『まさか、本当に自分は彼女に恋をしているのか。』そして同時に、『彼女に否定された』のだということも。
Vがヴァレリーの隣の監房に閉じ込められて拷問を受けていたということはイヴィーに伝わったけど、そこで恐ろしい人体実験までもが行われていたことや、Vがその唯一の生き残りであったこと、プロセロやリリマンの罪などまでは伝わらないですよね?なんというか…『女相手には、ちゃんと言葉で言わないと伝わらないのよ!V!!』って言いたくなる…。私たちはラークヒルの地獄を知っているけど、肝心のイヴィーはそこまで把握せずにVをモンスター呼ばわりだなんて…!!もう!ヒドイ!
まーー、ぜんぶ想像というか妄想なのですけど、この段階でVは観客の心を確実にグワシッと鷲掴みにしたことでしょう。こういうVの憂いがなんとも言えずイイのです。特に女性には堪らんでしょうな?
最近は原作コミックの鉄人的というか超人的なVもカッコいいなぁと思うようになったんだけど、それでもやっぱりこの映画版Vにはメロメロなのです。
Vは、出て行くというイヴィーに対して、「わかっている。」「もう鍵のかかったドアはない」と言い、引き止めはしない。手紙を書いたのはVだと思っているイヴィーを、Vはヴァレリーの聖廟へ連れて行く。恐らくは彼の、シャドウ・ギャラリーの一番の深淵だったんだろうと思う。その場所へイヴィーを案内する。
ヴァレリーが実在することを、手紙を書いたのがVではなかったことを知らせれば、イヴィーが思いとどまるのではないかと期待したのかな?って、私はまた女脳的にそう思っていたのだけど、ここはやはり哲人たるV、そんな動機では動かないだろうな。
自分と同じ経験をして、同じようにヴァレリーの手紙によって覚醒したイヴィーには、ヴァレリーが実在の人物であることを知らせるべきと最初から考えていたんだろうと思う。
ヴァレリーが実在したこと、あの手紙が本当にヴァレリーという女性が書いたものであるという事実は、イヴィーの精神をより強く保ってくれるはずだし、それを知らないことには覚醒は完了しなかっただろうと思う。
ヴァレリーの聖廟を見せれば、イヴィーの強さがより確かなものになり、そうすればイヴィーは本当にVを必要としなくなりシャドウ・ギャラリーを去って行くことになるだろうと、Vには解っていたんだろう。
ヴァレリーの聖廟に案内するということは、Vにとっては、その仮面の下を覗かせるのと同じくらいの意味があることだったんじゃないかと思うわ。
しかし彼を唯一理解できる存在となったはずのイヴィーは、それでもやはりVの復讐には共感しなかった。覚醒後のイヴィーに理解されなくて、一体他に誰が彼を理解し共感し支持することができるんだろう?でもイヴィーがVに突き付けた答えは"MONSTER" だったんだ。Vは空虚感を味わったんだと思うなあ。
イヴィーは拷問を受ける前後でまるで別人のように変貌を遂げた。それがこの映画の肝の一つだと思う。だけど、この時のイヴィーの発言には『なぜそんなことを…!』と恨まずにはいられない。Vったら、黙って俯いちゃったしゃないか!
このとき、自分の復讐心をイヴィーに理解されなかったことが、後に新しい世代を代表としてイヴィーに地下鉄のレバーを委ねることを考えるきっかけになったんだろう。
このときはVはまだ、イヴィーに対する自分の恋心に気付いていなかったかもしれない。イヴィーが自分と同じように覚醒したことをVはきっと喜んだと思うし、自分の元を去って行くことも予見できていたコトのはずなのに、この胸を裂くような辛い気持ちが何なのか、はっきり分からなかったかも、と思ったりする。
または、薄々気付きつつあるその恋心を認められずにいたのかもしれない。『まさか、この私が恋をするなど…、あり得ないことだ…。』なんて、戸惑っていたかも?
イヴィーが出て行ったあと鏡で自分の姿を見て、イヴィーにMONSTER と言われてしまったこと、「血の復讐」を理解されなかったことなどを考えた。心に穴が空いたような言いようも無い喪失感に襲われたかもしれない。そして、こんなにも辛く、淋しいのが何故なのか、気付いたのかもしれない。『まさか、本当に自分は彼女に恋をしているのか。』そして同時に、『彼女に否定された』のだということも。
Vがヴァレリーの隣の監房に閉じ込められて拷問を受けていたということはイヴィーに伝わったけど、そこで恐ろしい人体実験までもが行われていたことや、Vがその唯一の生き残りであったこと、プロセロやリリマンの罪などまでは伝わらないですよね?なんというか…『女相手には、ちゃんと言葉で言わないと伝わらないのよ!V!!』って言いたくなる…。私たちはラークヒルの地獄を知っているけど、肝心のイヴィーはそこまで把握せずにVをモンスター呼ばわりだなんて…!!もう!ヒドイ!
まーー、ぜんぶ想像というか妄想なのですけど、この段階でVは観客の心を確実にグワシッと鷲掴みにしたことでしょう。こういうVの憂いがなんとも言えずイイのです。特に女性には堪らんでしょうな?
最近は原作コミックの鉄人的というか超人的なVもカッコいいなぁと思うようになったんだけど、それでもやっぱりこの映画版Vにはメロメロなのです。
外に出たいと言うイヴィーを屋上に連れて上がるV。
外は雷雨で、雨粒が激しく屋上に叩きつけている。Vはそれを知っていたのか、自分のマントを持ってきていてイヴィーの肩にかけてあげようとするんですよね。なんって優しいの!紳士過ぎるよV!
ところがイヴィーはそれを無視してか気付かずか、雨に打たれながら進み出て行く。
ヴァレリーの手紙にあった、「神様は雨の中にいる」 というフレーズを思い出す。さらに両腕を挙げて全身で雨を感じるイヴィー。
それを背後から見つめるV。20年前(?)に自らラークヒルを爆破し、その炎のなかでVとして覚醒した自分の姿を思い起こすのですよね。燃え盛る炎の中から歩み出てきて、天を仰ぎ咆哮するV。
イヴィーとVの覚醒シーンがオーバーラップするんだけど、イヴィーは自然の祝福を受けて目覚めたかのようであるのに対して、Vは憤怒の炎の中、まるで地獄から這い出て来たよう。
FROM SCRIPT TO FILM にはこうあります。
"V raises his arms as though he would pull heaven down from the sky and trample all of creation into dust."
「天を空から引きずり下ろそうとするように両腕を挙げ、すべての生命を踏みつけ破壊しようとするかのようであった。」という感じでしょうか?(これ、コミックなのか小説なのか、どこにあったんだろう??と必死に探したけど結局どっちでもなかった…。)
少し遡って屋上に上がる前、Vに諭されて自分が恐怖を克服したことを悟ったイヴィーは、「天使になった様な気がした…」と言うのです。コミックにも小説にも脚本にもあるのに、映画ではありませんね、このセリフ。
そして屋上での覚醒と続くわけです。こんな風に二人それぞれの覚醒を、イヴィーの場合は天使の生誕のように、Vの場合はまるで悪魔の目覚めのように描かれている節があって、そこは私はイヤだなと思うわけ。だってVに心酔してる人からすると、Vを悪魔みたいな扱いにして欲しく無いもの。映画でイヴィーの「天使みたい」発言をカットしたのは、あまりにも「イヴィー:V=天使と悪魔」みたいな構図が強く出ちゃうのを抑えたかったから、だったりするのかな?
Vは手製の爆弾による煉獄の中でその身を焼きながら自由を奪い返したのと同時に、他に行き場の無い底知れぬ怒りを開放したんだ。身を焦がす業火はVの怒りそのものだったのだろう。
Vは独りだったんだ。ラークヒルでももちろん独りだ。ヴァレリーの手紙だけが救いだった。あの手紙だけが彼を励ましてくれた。
「生きてここから逃げて欲しい」
Vはきっとそうすると誓ったんだろう。でも、誰も助けてはくれないのだ、誰も何も用意してくれない。自分しかいなかった。自分の知識と体が全てだった。
手製の爆弾。灼熱の炎。湧き出てくるのは言いようの無い怒りだった。怒りが彼を炎から救い、傷を癒したんだろう。
仕方ないじゃないか。Vには誰もいなかったんだ。影で導いてくれる人も、根気よく諭してくれる人も、居なかったのだ。道徳の欠片も無い監房、まさに生きながらの地獄から自力で這い上がって来なければならなかったんだ。
それに対してイヴィーは、Vによって導かれた。リリマン殺害の時と同じだ。ウェストミンスターの計画がVの完璧な庇護の下での実地訓練であったように、この拷問も、かなり酷ではあるけど、完全なコントロールのもとにVが施した訓練だったんだ。Vの過酷で温かな導きの末の覚醒だったのだ。
Vは悪魔だったんだろうか?
ヒューゴ・ウィーヴィングがどこかのインタビューでこう言っていた。
「Vは囚われの身となり、肉体的にも精神的にも虐げられた。それがVを、いわば“復讐の天使”にしたんじゃないかな。」
天使と言っても、エンゼルパイのパッケージにあるようなお尻プリプリでクルクル金髪ヘアの天使ではないだろうよ。書いて字のごとく、天の使いという意味なのだろう。あまりにも過酷な試練を与えられながらもそれを乗り越えたVは、罪人を裁き、祖国に自由を取り戻すために遣わされた天使になったんだろう。
血塗れた剣を持つ天使。他の人には成し得ない「悪魔の仕事」をするために遣わされる天使もいるのだろうよ、きっと。
外は雷雨で、雨粒が激しく屋上に叩きつけている。Vはそれを知っていたのか、自分のマントを持ってきていてイヴィーの肩にかけてあげようとするんですよね。なんって優しいの!紳士過ぎるよV!
ところがイヴィーはそれを無視してか気付かずか、雨に打たれながら進み出て行く。
ヴァレリーの手紙にあった、「神様は雨の中にいる」 というフレーズを思い出す。さらに両腕を挙げて全身で雨を感じるイヴィー。
それを背後から見つめるV。20年前(?)に自らラークヒルを爆破し、その炎のなかでVとして覚醒した自分の姿を思い起こすのですよね。燃え盛る炎の中から歩み出てきて、天を仰ぎ咆哮するV。
イヴィーとVの覚醒シーンがオーバーラップするんだけど、イヴィーは自然の祝福を受けて目覚めたかのようであるのに対して、Vは憤怒の炎の中、まるで地獄から這い出て来たよう。
FROM SCRIPT TO FILM にはこうあります。
"V raises his arms as though he would pull heaven down from the sky and trample all of creation into dust."
「天を空から引きずり下ろそうとするように両腕を挙げ、すべての生命を踏みつけ破壊しようとするかのようであった。」という感じでしょうか?(これ、コミックなのか小説なのか、どこにあったんだろう??と必死に探したけど結局どっちでもなかった…。)
少し遡って屋上に上がる前、Vに諭されて自分が恐怖を克服したことを悟ったイヴィーは、「天使になった様な気がした…」と言うのです。コミックにも小説にも脚本にもあるのに、映画ではありませんね、このセリフ。
そして屋上での覚醒と続くわけです。こんな風に二人それぞれの覚醒を、イヴィーの場合は天使の生誕のように、Vの場合はまるで悪魔の目覚めのように描かれている節があって、そこは私はイヤだなと思うわけ。だってVに心酔してる人からすると、Vを悪魔みたいな扱いにして欲しく無いもの。映画でイヴィーの「天使みたい」発言をカットしたのは、あまりにも「イヴィー:V=天使と悪魔」みたいな構図が強く出ちゃうのを抑えたかったから、だったりするのかな?
Vは手製の爆弾による煉獄の中でその身を焼きながら自由を奪い返したのと同時に、他に行き場の無い底知れぬ怒りを開放したんだ。身を焦がす業火はVの怒りそのものだったのだろう。
Vは独りだったんだ。ラークヒルでももちろん独りだ。ヴァレリーの手紙だけが救いだった。あの手紙だけが彼を励ましてくれた。
「生きてここから逃げて欲しい」
Vはきっとそうすると誓ったんだろう。でも、誰も助けてはくれないのだ、誰も何も用意してくれない。自分しかいなかった。自分の知識と体が全てだった。
手製の爆弾。灼熱の炎。湧き出てくるのは言いようの無い怒りだった。怒りが彼を炎から救い、傷を癒したんだろう。
仕方ないじゃないか。Vには誰もいなかったんだ。影で導いてくれる人も、根気よく諭してくれる人も、居なかったのだ。道徳の欠片も無い監房、まさに生きながらの地獄から自力で這い上がって来なければならなかったんだ。
それに対してイヴィーは、Vによって導かれた。リリマン殺害の時と同じだ。ウェストミンスターの計画がVの完璧な庇護の下での実地訓練であったように、この拷問も、かなり酷ではあるけど、完全なコントロールのもとにVが施した訓練だったんだ。Vの過酷で温かな導きの末の覚醒だったのだ。
Vは悪魔だったんだろうか?
ヒューゴ・ウィーヴィングがどこかのインタビューでこう言っていた。
「Vは囚われの身となり、肉体的にも精神的にも虐げられた。それがVを、いわば“復讐の天使”にしたんじゃないかな。」
天使と言っても、エンゼルパイのパッケージにあるようなお尻プリプリでクルクル金髪ヘアの天使ではないだろうよ。書いて字のごとく、天の使いという意味なのだろう。あまりにも過酷な試練を与えられながらもそれを乗り越えたVは、罪人を裁き、祖国に自由を取り戻すために遣わされた天使になったんだろう。
血塗れた剣を持つ天使。他の人には成し得ない「悪魔の仕事」をするために遣わされる天使もいるのだろうよ、きっと。
