A Votary of V4V -19ページ目

A Votary of V4V

映画 V FOR VENDETTA にハマってしまった自分のための備忘録(ネタバレ)


Vは強い!んだけど、何がイイって、特殊能力がないところだ。

ラークヒルでの実験の作用で反射神経と運動能力が向上したとのことなので、Vは常人離れしたスピードと体力を持っているはず。

でも空を飛んだり瞬間移動したり、口から火を噴いたり目からビームを発射するわけでもない。

そこがイイの!!

Vが超能力者だったり、変身できちゃったりしたらすごく興醒めだもん。Vはあくまで人間なのだ。(Vには目がない説を信じるとすると、特殊能力で物を見ていることになるけど、私はその説は支持しない。)

だからこそ、最期は銃弾に倒れてしまうのだけど…。ああ、Vはやっぱり普通の人間なんだ、って、安心するような気持ちと、でもあの瞬間だけはどうかVが不死身であって欲しいと思う気持ちもあったなあ。

Vは肩幅が広く胸板も厚くて、その体に長いマントを羽織って、風のように敵をなぎ払って行くんですよね。

イヴィーを襲ったフィンガーマンたちを倒した時は、グーで殴っただけで恰幅の良い男が吹っ飛びましたよね。あの拳が、腕が~、かっこいい!

戦う時も銃を使わずに素手かナイフなんですよね、そこもいいのです。この映画のなかではアクションシーンはメインではないと私は思っているけど、俊敏で鋭いVの姿にもクラクラしてしまうのです。ああ。私も助けられたい…。

映画ではそういうシーンはありませんが、Vはコンピューターハッキングの腕もすごいんですよね。原作では、政治を司っているスーパーコンピューターのザ・フェイトというのが登場しますが、Vは実はそのスパコンをハックして操ってしまう。

映画ではザ・フェイトは登場しないけど、フィンチがロックウッドに接触するきっかけになったメールはVが仕組んだものですよね。データベースにアクセスした人に自動的にメールが送られるようになってたんでしたっけ?Vは政府のデータベースに忍び込んで細工を仕掛けてたんですかね。

DC Comics Database によると、Vはmental capabilities も上がったそうですが、つまり知力ですね。やっぱ、強いだけじゃなくて知性がなきゃね。たくさん書物を読んで、ぐんぐん吸収していったのですかね?こんな人から見たら、そら普通の人間は虫けらみたいに見えるのかも。(デリアが言ってたように)
http://dc.wikia.com/wiki/V_(V_for_Vendetta)

こんなになんでもできる男なんているわけないだろ!と思われるかも知れないけど、いいの。Vはなんでもできるの!公式サイトの衣装担当者のインタビューによると、Vは彼の服を全て手作りしているらしいし、ということはあのエプロンも…。プロセロたちを殺すのに使った毒物も。

俊敏でしなやかで強くて、賢くて手先が器用で、芸術を愛で、手製の毒で人を殺し、かごたまパンで客人をもてなす、どこまでも紳士な男。

こんなのVにしかできない。
人間臭いような、人並外れた男。
愛すべきマスクドマンです。

大好きです。

Vの正体は、実はイヴィーの父親なのでは?!と推測されることがあるようです。私自身は、この映画を観てそんな風に思ったことが一度たりともなかったので、その考えに驚いたくらいでした。

原作では、イヴィーの年齢が映画よりもだいぶ若くてまだ16歳。Vのことを『もしかしてお父さんなのでは?』と考えるのですが、V自身がはっきり否定しています。君のお父さんは死んだのだと。

原作のイヴィーはまだ若く、子供だから、Vがもしや父親なのではと考えた、またはそうだったら良いのにと思った、のかも知れない。ですけど、映画を先に観ていた私にはその発想はまったく無かったことなので、『えー?!V=お父さん説なんてアリ?!』と驚きました。

Vが一体何歳なのかなんて考えたことが無かったけど、まあ、イヴィーぐらいの娘がいてもおかしくは無い年齢なのかもしれません。
ラークヒルで"V"が誕生したのが20年前。ラークヒルにVが収容された時に何歳だったのか分かりませんが、すでに大人であったとすると、若くても20歳前後ではあったのかなぁ。

すると、イヴィーと出会った頃のVは、若くても40歳前後くらいらだったのですかね。45歳かも知れないし、50歳かも知れない。

ちなみにヴァレリーは、ラークヒル収容時にはもう30歳過ぎてますよね。1985年生まれで、『ソルト・フラッツ』を主演したのが2015年ということなのでちょうど30歳のとき。そこから薔薇の3年間を送ってるはずだから、ラークヒル収容時は33歳かな?

まあ、だからといってVが当時何歳だったかは分かりませんけども…。

イヴィーに出会った時、Vは40歳~50歳、もしかしたら55歳だったかも知れない。でも何歳だったとしても、時系列で整理して考えると、Vはイヴィーの父親ではありませんよね、映画ではラークヒルが破壊された頃(="V"が覚醒したとき)はまだ、イヴィーの父親は逮捕されていませんから。

原作だとVの復讐期間はたった5年間ですから、また違った推測が可能かもしれない。でも、それでも私はVがイヴィーの父親だなんて、自分自身では考えつかなかったと思います。きっと、映画のVとイヴィーのロマンスを気に入り過ぎたからかな?

また別の推測として、Vは実はヴァレリーと同一人物なのでは?という考えもあるようです。人体実験によって男の様な体に変えられてしまったけど、ほんとはヴァレリーだったのではないかと。ヴァレリーは同性愛者だから、のちにVがイヴィーに恋をしても不思議ではない、というわけ。

でも、デリアはVのことをhisとかhimとか書いていますし、「肉体的には変化はない」とも記録していますから、やはりこの説も否定されることになります。

結局、Vの正体は不明なのです。

デリアは、実験のなかでVは「自分が誰なのか分からなくなっている」と日記に残していますが、それは真実かどうかは怪しいと思います。本当にVは過去の記憶を失ってしまったのかも知れないけど、もしかするとそうではなくて、ラークヒルから抜け出すための演技だったのかも知れない。何もかも覚えているし正気を保っているのに、精神が崩壊したフリをしてデリアたちの目を欺いていたのかも知れない。

いずれにしても、真相はV本人にしか分からないことです。

Vが過去の記憶を保っていたとしても、忘れ去っていたとしても、ラークヒルで全てを失って以降、Vは"V"として生き、復讐のみを考えてきたわけですから、その仮面の下が誰であるかなど、V自身にももはや関係のないことだったのでしょうね。






小説を最後まで読んだのです。
もう、たまらない。
こんなに勇敢で高潔で優しく切ない今生の別れって他にあるでしょうか?!あるのかも知れないけど、私は知らなくて良い、私にとっては今手元にあるこのストーリーが史上最高のものなのです。


さて、今日は「フィンチの見たこと」についてです。

ストーリーの終盤でフィンチはラークヒルへ行きます。ひとりで。安全区域外ということで、ドミニクは驚いてましたよね。

そこで、フィンチは過去の出来事、現在起こっていることがすべて繋がっているのだということに、自分たちもその一部なのだと気付いた。というか感じ取った。さらには、これから起こるであろうことも感じ取った。まあ、未来に関しては、刑事としての勘の賜物なのでしょうが。

フィンチがドミニクに語るとき、たくさんのシーンが連続して流れます。炎の中のVとか、ヴァレリーとか、ゴードンとか、その他いろいろ。これらはもちろん、フィンチに「見えた」というわけではなくて、過去の出来事を観客にフラッシュバックさせつつ、フィンチも同様のことを感じた・推測できたということを表しているシーンですよね?べつにフィンチがそのシーンを見れたわけじゃ無い。超能力者じゃないんだから。

さて、映画ではフィンチがラークヒルに行ったときのことは回想としてしか語られませんが、ノベライズではラークヒルでのフィンチ視点で見たものについて補完されていますね。でも、ノベライズにも書かれていない点が原作コミックにはあります。

フィンチは、原作ではラークヒルに着いてから、薬を飲むんですね。
「リセルグ酸ジエチルアミド。通称、LSD。」と訳されています。

私は全然知らなかったので調べてみると、そういうのが実際にあるのだそうですね。「非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤である。」「一般にLSDは感覚や感情、記憶、時間が拡張、変化する体験を引き起こし、効能は摂取量や耐性によって、6時間から14時間ほど続く。」などなどいろいろ書かれてますが、フラッシュバックを体験する人もいるのだとか。フィンチはその薬を飲んでラークヒルを歩き、様々な物を見てしまうのです。もちろん幻覚ですが。

最後には服を脱ぎ捨て裸になり、自由を、真理を感じとるのです。

自分を縛り、暗い部屋に閉じ込めコントロールし続けていたのは自分自身なのだと、それを開放できるのも自分自身なのだと、気付くのです。全てから開放されたフィンチは、光に向かって走り、恍惚の表情で両手を上げる。Vもイヴィーもそうしたように。(イヴィーは原作やノベライズの覚醒シーンでは裸なのです)

とまあ、ざっくりとはこんな風なわけだったのですね。薬の力を借りていたとは。この薬がヤバイので、映画やノベライズではカットされたのですかね、麻薬ですもんね。


しかし、原作は少々難解で、まだ一度しか読んでない私は理解がまだ浅いので、また改めて読みたいと思います。


Vには目がないのか?

そんなワケないと思う。
映画の字幕でデリアがそういうことを言うけど、誤訳だろうと思った。でもどうやら、英語でも間違いなく、「彼には目が無かったが」と言っているもよう。

でもだからと言って、Vには目が無いの?!とは思ったことない。これは比喩的な表現でしょう?

燃え盛る炎を背にしていたから、映像でもそう再現されていたようにVはほぼ黒いシルエットとしか見えてなかったはず。だから目が見えなかったんだ。

彼の目が見えたワケではないけど、でも彼が自分を観ていたのは分かった、ということでしょう?

原作コミックの同じパートでは、
彼が私を見た
昆虫を見る様な目で。
顕微鏡で標本を見る様な目で
彼が私を見た。
となっています。
日本語訳版しか持っていないので、本当のオリジナル(英語)でどのように書かれていたのかわかりませんけど。


Vが着けているマスクは、目の部分に空いている穴からはその下にあるはずの目が見えない。瞳の中は真っ黒。このことが、Vには目が無いのかという憶測を深めてしまうのかもしれない。

Vが着けているマスクは多分、目の部分に黒いメッシュが張ってあるからかな?映画冒頭で、鏡台の前で彼がマスクを着けるときはそんなもの着いてないんだけど、まあそこは「映画ですから」という事で置いておいて、

photo:01


これは書籍 FROM SCRIPT TO FILM の表紙に載ってるマスクの目の部分のアップ。黒いメッシュ。

目の色が見えないように、または目のふちまでも火傷でただれてしまっているのを隠すためなのか、Vはこういうマスクをつけてるんじゃないのかな?映画の制作上では、撮影後に瞳の中を黒く消す処理をしたのかも知れないけど。

ちなみに、BTNを占拠したときにVが使ったマスク、イヴィーはそれとは知らずに運び込んだたくさんのマスクは、同じように目の部分に黒いメッシュが入ってる。だから、これを付けさせられたBTNスタッフらも、瞳が見えません。

けど、ラストで群衆がつけたマスク、これもVが手配したものですが、こちらはメッシュが着いてませんよね。だからラストシーンで群衆が議事堂を見上げるシーンでは、瞳が見えてます。

Vも、さすがにあれだけの量のマスクを用意するには、グレードを落とさないといけなかったのかな?まあテレビ局では、他のマスクマンたちの中にVが紛れるために、マスクの仕様も同じじゃないとマズイと考えたわけですかね。

やはり、瞳が見えてしまうと、その下にある顔が気になってしまいますよね。この仮面に隠れた人物に意識が行ってしまう。マスクは素顔を隠す道具に見えてしまう。

でもVのように瞳が見えず真っ黒だと、マスクの下を気にしなくなる。マスクそのものをこの人物の顔なのだと思えるようになる。Vも、マスクの下がどんな顔かだなんて気にならないですよね。

且つ、瞳が見えない、深い暗闇しか見えないことがVをよりミステリアスにする事ができるし、その表情から心情を読み取る事が困難になるから観客はVに注目するのですよね。何を考えているのか、どんな気持ちなのか、一生懸命読み取ろうとする。

本来、ピクリとも動かないあのマスクから何かを読み取るなんて不可能であるはずだけど、そこはヒューゴ・ウィーヴィングの演技力で醸し出されちゃうのですよね~。

あのマスク、試写会でレプリカが配布されたそうですね。グッズまで集める趣味は私にはないけど、でもこれに限っては、ちょっと欲しいかも…




Vがたった一人で様々なことを準備し遂行してきたことなどについて、「そんな馬鹿な!」と思ってしまう人は、この映画を楽しめないのでしょうね。

確かに、突っ込みどころはたくさんあるのです。

たった一人でシャドウ・ギャラリーをあの状態まで整えたのか?
たった一人で爆破のための仕込みをしたのか?
あのTVでのスピーチビデオも全部自分で撮ったのか?
イヴィーに全く気付かれずにあの拷問を課すことなんて可能か?
10年かかったとは言え、一人で地下鉄を修復することは可能か?
その財力源はなんなのか?

などなど、なんというか、そりゃ都合が良すぎるだろう?とも思われる点はたくさんあるのです。
いくらVが人間離れした精神力と身体能力を持っていたとしても、こんなに何でもかんでもうまく行くわけがない。

誰か他に協力者がいるのだろうと、初見では私も思っていたくらいです。

でも、Vなら出来るだろうと思うし、Vだからやってしまうだろうと思うし、Vがすることだから常人の予想の遙か上を行ってて当然だろう、と思えるようになるのです。

これもVに心酔しているからこそだと思いますけども。

あまり細かいことを気にし過ぎる人や、辻褄が合わないことが許せない人、Vというキャラクターへの愛着が沸かない人には、楽しめない映画なのかもしれない。

Vは、Monstrous(怪物的)な人体実験を受ける以前から聡明で手先が器用な人物だったのか、それとも実験により身体能力が向上したのと同時に腕力以外の様々な能力が上がったのか、どちらかな?と考えることがありますが、まあどちらでも良いか。

そう、そんなのどちらでも良くなる。映画なればこそ、Vなればこそ、です。