これは防げない事件ではなかった?
先日起きた、池袋のポケモンセンターでの元交際相手による殺害事件。
若い女性が命を奪われた、とても悲しく、痛ましい出来事でした。
ご家族やご友人、そしてその場に居合わせたスタッフやお客として来店していた子どもたちや保護者の方々のことを思うと、胸が苦しくなります。
心のケアや支援が届いていることを、ただ願うばかりです。
毎年、元交際相手による殺人は繰り返されています。
ストーカー殺人は、本当に防げないものなのでしょうか。
私は、そうは思いません。
事件の前におこっていること
ストーカーは、突然生まれるものではありません。
多くは、デートDVの延長で起きています。交際していた関係の中で、それは「愛」ではなく「支配」だった。
だから別れようとした。
しかし、支配したい側にとって別れは「裏切り」です。自分の思い通りにならない相手を、受け入れることができない。
「別れるかどうかは自分が決める」
「相手はまだ自分のものだ」
そうした認識のもとで、支配は強まり、危険性は一気に高まります。
実際に、DVやストーカーによる重大事件の多くは、別れ話の最中や、別れた直後に起きています。
加害はどう生まれるのか
DVは力による「支配」です。
特権意識からくる「自分が正しい」という強い思いこみ、認知がゆがんでいます。
特に男性の加害者には「男らしさ」や「女性蔑視」の意識を持たされていることが多く、親密なパートナーに対して執着が強くなります。
・相手は自分のものだという感覚
・自分の思い通りにしていいという前提
・関係の終わりを受け入れられない
さらに、加害者はしばしばこう考えます。
「自分は傷つけられた側だ」
「だから自分の行動は正当だ」
この認知が、加害を正当化していきます。
なぜそれが「愛」に見えてしまうのか
私たちは日常の中で、支配を「愛」として受け取るメッセージに触れ続けています。
・嫉妬は愛情の証
・束縛は大切にされている証
・追いかけるのは一途さ
ドラマや漫画、SNSの中でも、こうした関係性は繰り返し“キュンとする”や “愛情の一つ”とされています。
しかしそれは、本来対等であるはずの関係を支配・被支配の関係に歪めてしまうものです。
交際関係は、支配ではなく、お互いが尊重される関係であるべきです。
それを「愛」として容認する社会
DV加害者は、外では「いい人」であることも少なくありません。
だからこそ、周囲は気づきにくい。
被害者が勇気を出して話しても、「愛されている」「お互い様」と受け止められてしまうこともあります。
こうして問題は「恋愛のもつれ」として処理され、暴力や支配の影響は矮小化され、構造的な問題として扱われないまま見過ごされていきます。
気づいたときには大きな暴力が起きていることも多く、一旦加害者の執拗なコントロールが弱まると、「もう終わった」と感じることもあります。
しかし加害者のもつ”執着”は非常に根深いと感じます。
被害者自身は「警察に迷惑をかけられない」と考えたり、その他「これ以上事態を大きくしたくない」「相手を刺激したくない」といった考えをすることがあります。
さらに、怖さが慢性化して感覚が麻痺しており、しばらくなにもないから大丈夫と思ってしまうこともあります。
しかしその結果として、最も危険な段階で支援や介入が弱まってしまうことがあるように思います。
だからこそ、本人の意思や判断に委ねるのではなく、危険性に応じて介入できる仕組みが必要なのだと思います。
法の強制力も必要
教育や啓発はとても大切です。しかしまだ全国ですべての人が十分受けられているとは言えません。
そして、それだけでは止められない加害もあります。加害者は、自覚がないことも多く、あったとしても認知が歪んでいます。
だからこそ、
・加害者プログラムの法的な義務化
・危険段階での介入の強化
・未然防止のための教育の義務化や拡充
こうした仕組みが必要だと思います。
今の日本では、被害者が逃げ続けることを前提とした構造になっていますが、本来、責任を負うべきは加害者です。
これは「恋愛の問題」ではありません。
支配であり、人権侵害であり、暴力であり、犯罪です。
日本が本気で加害者対策に取り組んでほしいと切に願います。