年末年始九州も寒くなり、ここ大分も雪が積もりました。



久しぶりの寒さにお休みの今日はゆっくりと家で過ごしています。



朝から是枝監督の「万引き家族」を家で観賞しました。



2018年の映画ですが、コロナ禍で多くの問題が表面化している今、観賞すべき映画の一つだと思います。



私としては特にこの中で登場する5歳のゆり(=じゅり=りん)の姿を通して本当の家族とは何なのかを考えさせられました。



DVや児童虐待の環境の中であるにも関わらず産みの親の元、形としての家族が本当の家族なのか。



一方ゆりが連れられてきた(形としては誘拐になるのでしょうが…)家族は言葉は少し汚い、血縁もなく、貧乏で、食べていくうえで万引きをしてはいる。



制度上の家族ではない、偽造家族とでもいうのでしょうか。



しかし精神的情緒的な繋がりがあり、子どもたちの辛さや苦しみを理解し、受け止めてくれる笑顔の大人たちに囲まれた環境の中で、次第にゆりが笑顔を見せ自分の意思を取り戻していく姿が描かれている。



しかしながら、ある事件をきっかけにゆりは元の親に連れ戻される。



そしてまた虐待のなかに戻されてしまったゆりは、今までのゆりと違い少し強くなっているように感じました。



これからゆりがDV虐待の環境の中でどう生き抜いていくかは描かれていません。



この映画を観ての感想はそれぞれだと思います。



私としては、日本があまりにも婚姻制度や血縁関係に縛られすぎて本当に大切なものを見失っていると日々感じ、この映画でもそれは強く感じています。



万引きは犯罪だけれども、その背景には貧困がある場合も多く、



さらに犯罪であるのに犯罪として認知されづらい暴力=家庭内のDV、児童虐待を司法や行政が認知せずに認めて正当化するケースがあることに非常に憤りを感じます。



戸籍上親で、経済的に裕福だが、そこが安全が保証されない暴力のリスクのある環境の家庭であれば、



それは子どもたちにとって幸せな環境とはいえません。



自己肯定感や情緒的な結びつきが形成されず精神面や脳にも大きなダメージを与え、成長に著しく影響を与えます。



この映画のなかでは二人の警察官が出てきます。



ルールや価値観に縛られた警察官たちの決めつけが描かれていました。



日本は何かずれている。



司法や行政は社会の問題の解決として、逸れている、乖離している対応をしているのではないでしょうか。



新型コロナの対応を見ていてそれは表面化してきているように感じます。



学術会議のような本当に問題の根本を理解し追求して指摘する専門家たちの声を日本に反映してほしいと願います。



私たちの声に耳を傾けてほしいと思います。



個人的なことは社会的なこと、

社会的なことは個人的なこと。



是枝監督の映画はどうしてこんなにも日本の問題の根幹を上手に写実することができるのだろう。



こういった映画が長年支持されることで、日本に影響を与えてほしいと願います。




今日もお読みいただきありがとうございます。