子どもを利用するDV――見えにくい支配のかたち
DV被害において、
DVから被害親が子どもと一緒に逃げることと、
DVの手段の一つとして加害親が子どもと被害親を引き離すことは、同じではありません。
前者は、暴力や支配から子どもと被害親の安全を守るための行為です。
後者は、子どもを人質のように利用して、被害親への支配を継続する行為です。
目的も、力の向きも、子どもへの影響も、まったく異なります。
にもかかわらず、現場や制度の中では、この二つが区別されないまま、同居親・別居親と同列に扱われてしまうことがあります。
私は、子どもと引き離される被害女性が集まるオンラインの場を、継続して開催しています。
そこでは、家庭や制度の中で起きている現実が、繰り返し語られています。
その実態について、先日初めて約1時間の時間をいただき、福山市にてお話しする機会がありました。
被害をさらに深くする「周囲の言葉」
子どもと引き離された被害女性は、加害行為そのものだけでなく、周囲から投げかけられる言葉によって、さらに追い詰められていきます。
- 「妻なんだから支えなくちゃ」
- 「夫婦なんだから、よく話し合えばいい」
- 「お母さんなのに、どうして親権が取れないの?」
これらの言葉は、DV被害の実態を見えなくし、被害者に自責と沈黙を強いる結果を生みます。
これらはDVを理解していないために起きています。
これらによって被害者は苦しみ続けます。
「DVではない」とされることで起きていること
司法の現場では、次のようなことが起きています。
- DVが「夫婦の争い」と言い換えられ、問題が矮小化される
- 面前DVとして見ようとせず、子どもの恐怖や混乱がなかったことにされる
- 子どもと加害親の関係は「問題ない」と判断される
- 母親の育児の積み重ねが過小評価される
- 一部の育児参加をもって、父親の評価が過度に高められる
こうした判断の積み重ねが、子どもを利用したDVを不可視化し、支配を強化していくことになってしまいます。
残念ながら、司法が加害者側に加担してしまうという構造になってしまうのです。
子どもに起きている現実
その結果、子どもたちは安全で安心できる被害親に自由に会うことができなくなり、加害親の支配や管理のもとで生活することになります。
子どもとまったく会えなくなる被害親もいれば、会うことができたとしても、子どもが受けた被害について十分なケアが行えない状況に置かれることも少なくありません。
会えたとしても月に数回、面会交流の日程や都合などは加害者が主導権を握ろうとするので、その通りに実施するというやり方にほとんどなります。
よって実際のところ子どもが会いたいときに安全な親に自由に会う、つまり本来の子どもの権利の実現も難しくなります。
また、加害親側では親子の境界線が曖昧であることが多く、その結果として、心理的・身体的虐待が継続したり、なかには性的被害にさらされる子どももいます。
これは偶発的な問題ではなく、支配をDVとして認識できないまま判断が重ねられた結果として起きています。
こういった実態を予測して親権や監護権を決める判断は現在していないようです。
DVは「特別な家庭の話」ではない
内閣府の調査では、配偶者からの暴力を役4人に一人が経験してます。
DVは、決して特別な家庭だけに起きる出来事ではありません。
「よくある家庭の話」だから問題が小さいのではなく、それだけDVが多く、誰の身近でも起こりうる現実だということです。
だからこそ、DVを「想定外の出来事」にしないこと、DVの知識を知っておくことが必要です。
知らないままでいると、私たちは知らず知らずのうちに、DVを見逃し、正当化し、加担してしまう側になってしまいます。
おわりに
DVを知ることは、子どもと被害者の安全を守るための、最低限の知識です。
福山市でお話を聴きに来てくださった皆さま、そしてこどもステーションの皆さま、このような機会をいただき、本当にありがとうございました。