桜が満開となり、春が本格的に到来した。写真は筆者が近くの公園などで撮影したものだ。
桜の花は美しいが、周辺の緑、そして青空これがなんとも言えない雰囲気を醸し出している。
新元号「令和」も「美しい」を意味する令と、「調和」の和。自然が私達を感動させるのは、この元号にもこめられた調和による美しさなのである。
気温の上昇とともに、桜の花を咲かせるための遺伝子が次々とオンになって、一斉に咲いていく。これに合わせるように周囲の木々、草は新緑を装って桜の花を引き立てている。
桜の近くに菜の花が群生しているとピンクと黄色のコントラストがまた綺麗だ。春の到来とともにミツバチは繁殖で数が増え、菜の花など花で蜜を吸う代わりに授粉を助ける。
鳥の雄が雌に向けてさえずり、リスのペアも戯れたりする。春の到来を歓ぶシンフォニーのようである。
桜は散った後も、新緑が素晴らしい。周囲の木々の緑とともに、さわやかな空間をつくりだす。鳥は木の果実を食べ、糞とともに種を色々な場所に落とす。鳥は木々の繁殖も助けている。
秋になれば、気温低下とともに、桜は色づいてまた周囲の紅葉や秋空、夕日とともに情緒的な空間をつくりだしてくれる。
季節ごとの調和した自然。タイミングも絶妙に調整されているので、この調和が可能になっているのである。
この見事な調和が進化論によって可能か。進化論は偶然に遺伝子に変化が起きた生物が環境に適応すると言っているので、方向性、目的はない。それぞれの動植物が勝手な方向に進化するので、進化論が事実なら、調和した世界になっていないだろう。
調和が最も現れているのは、雄、雌のペアにおいてである。生殖機能のみならず、“愛の本能”という面においてでもある。皇帝ペンギンであれば、雌が産後、エサを求めて遠くの海に行っている間、雄が極寒の中、卵を温め続ける。
前にも書いたが、前の生物から偶然に皇帝ペンギンの雄が出現したとしても、ほぼ同時に皇帝ペンギンの雌が出現するということは、方向性、目的のない進化論では説明できない。進化論では、愛のための調和をまったく説明することができない。
愛で調和した雄、雌のペアシステムからなっている自然は、やはり、神が子供である人間を感動させ喜ばせるためにつくってくれたというのが最も納得がいく。この芸術作品には、138億年もかけた神の愛が詰まっているのである。
創世記に「生めよ」と記されているのは、人間が子供時代にまず自然を見ながら親の愛を受けながら神の愛を発見、感動して愛を育んでいくということであろう。
しかし、子供は進化論教育にさらされている。テレビ、図鑑、博物館、学校教育などを通して「神はいない」「すべての生物は偶然が重なって進化してきた」などと洗脳され続けている。前回のプラトンの洞窟の比喩で言えば、人間が洞窟の外へ出ないように進化論による嘘によって騙され続けている状態だ。
オレオレ詐欺なら嘘は遅かれ早かればれ、犯人は摘発されるが、進化論の嘘は、世界的な進化論体制があるために多くの人がなかなか気づかないようになっている。この体制では、進化論を支持する大学、科学界とテレビ、出版界が強く連携しているのである。
日本においても大学に多くの若者が入学したが、大学で学ぶ学問の根っこには、科学を偽装した唯物論哲学「進化論」があることを認識して、真理を追求していく青年が一人でも多く出てくることを期待したい。

