NHKがアニメ化した『ざんねんないきもの事典』についてまず、考えてみたい。
NHKが放送すれば一層話題性が出て、本が売れ、上中下巻からなるシリーズ合計250万部も売れているという。銀行の窓口近くにも置かれており、子供が読む機会は多いだろう。
しかし、この本は子供に動物の面白い知識を教えるという体裁をとっているが、進化論という危険な価値観を子供たちに刷り込もうとする、巧妙な本である。
第2章は「ざんねんな体」。章のはじめには、『「どうして、こんなすがたになったの!?」と思わず口にしたくなるような動物を紹介します』としている。
その中の一つの例に挙げているのがクジャク。「クジャクの羽は長すぎてじゃま」という見出しだ。クジャクの雄の美しい羽は、雌にアピールして気に入られるためだけに役立ち、空を飛ぶのにも動き回るのにもじゃま、などというのである。
この本のはじめのほうで進化論の説明のところで、絶滅せずに生き残れるかは「運次第」と書いている。クジャクは「ざんねんな体だが運よく生き残った」と言いたいのだろうが、そもそもこうした綺麗な羽をもつこと自体、DNA上の多数の部分の変異が同時に成立しないとできないはずで、偶然では説明できない。
それにクジャクの雄がこれほど目立つ羽をもっていて飛ぶのにも大変なのに絶滅しないで、地球上の各地で生息していることも進化論では説明できない。
第3章は「残念な生き方」。『「もっとラクな生き方があるんじゃない?」と、おせっかいを焼きたくなるような生き物たちを紹介します』としている。
この章の例の一つが、皇帝ペンギン。南極では皇帝ペンギンの雄がマイナス60度にもなる壮絶な寒さの中、2カ月もの間、雌が帰ってくるまで卵を抱き続ける、その犠牲的な愛の感動的な生き様を以前、紹介した。「皇帝ペンギンってすごいね!」とその愛のすごさを子供と共感共有するのがまともな親だと思う。
『ざんねんないきもの事典』:皇帝ペンギンはざんねんな生き方をしている
だが、進化論者は愛の価値を無視。この本では、「生物は偶然によって進化してきたから、こんな残念な生き方をする動物もいるんだよ」という見方を教えているのである。
ざんねんな生き方?何を言っているんだろうか。皇帝ペンギンは「ざんねんな生き方」の動物ではなく、人間に愛を教えてくれる、すごい動物である。前にも書いたが、この「犠牲的な愛」の起源は進化論ではまったく説明できない。
だから、この本の問題は、愛という観点を全く抜きにして、ただモノの観点だけから動物を見る進化論だけを小学生に教え込んでいるということだ。
進化論は科学的事実に合わないことは世界的に明らかになっており、もはやごみ箱に入れられるべき仮説。しかし、日本では、小学生までも対象にしてこのように出版界が進化論を不動の真実のように教え込み、NHKがそれを宣伝するという、構図になっているのである。
小学生にまで進化論だけを教えることの問題は、進化論を通して、間違った価値観を教えている、ということである。進化論は人間も他の生物と同じように、偶然の積み重ねと生存闘争によって進化してきたと言う。人間の価値は、サルから進化してきた「頭のいいサル」にすぎない、と言うのである。
だから、進化論によって誘発され、あおられるのは、自分が生き残ろうと必死で生きていくのは正しいことだという利己的個人主義の価値観である。
愛をそぎ落とした進化論は、愛という見方から子供たちを一層遠ざけ、「いじめられるのは弱いからだ」という論理にもつながっていく。また、進化論を中心とする唯物論的価値観に染まれば、宗教・道徳などを蔑視し、見下すようになる。
進化論で教育された子供が大人になっていくとき、家庭や社会はどうなっていくのだろうか?
次回、教科書で進化論だけが掲載され、かつNHKが進化論だけを宣伝することの法的問題を考えてみたい。
