わたし、今ちょっとだけ、幸せです。
何があったわけでもないけれど、何か、よいものに包まれている気がします。
そして、そんなときは不思議と、母になる日を夢見たりします。
今そうさせてくれる人が、いるわけではないけれど。
いえ、正しくは、そう遠くない日にそうなったら素敵だなと思う人はいるけれど・・・
そんな風だったからか、先日、なつかしいなつかしいこの本を手に取りました。
装丁新たに講談社から出た「モモちゃん」シリーズ。
- ちいさいモモちゃん (講談社文庫)/松谷 みよ子
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- モモちゃんとアカネちゃん (講談社文庫)/松谷 みよ子
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いったい何年ぶりに読んだのだろう・・・25年ぶりくらい?もっと?
30年近く前に、まだランドセルをしょっていた私が大好きだった本。
人形のモモちゃんが表紙の絵本版は、母に読んでもらったっけ・・・
モモちゃんと黒猫のプーがすごす原っぱに、小さな妹・アカネちゃんが大好きな双子の靴下。
どれもこれも、幼い私の心に確かに浮かんだ情景が、そのままの姿でよみがえってきます。
そして、いっけんほんわかしたこの物語の衝撃的なのは、
ある日、モモちゃんとアカネちゃんのママとパパが、さよならするところ・・・。
さらに強烈なのは、その前後、「パパ」はパパの「靴」だけが無言で帰宅するようになり、
働く「ママ」はとってもつかれて、毎晩死神にうなされるようになってしまう。
幼心にそのシーンが恐ろしくて、児童書のなかになぞかけのように描かれたこの強烈な情景に、
私のママとパパは・・・とドキドキ不安になったのを覚えています。
そして、30も半ばになって読んだ今。
その衝撃シーンの前後に、幼かった私の目には留まらなかった「ママ」や「パパ」の寂しさや悲しさが、
ぽつりぽつりと語られていることに気づきました。
そのひとつは、死神にうなされた「ママ」が、森のおばあさんから優しく諭されるシーン。
「歩く木と育つ木が、小さな鉢のなかで根っこが絡まりあってお互いに枯れそうになってる」
とおばあさんは言い、帰ってこない夫と、根をはり育ってゆく自分との埋め難いものに気づいた「ママ」は、
「お互い枯れてはいけない」と、”根分け”を決意する。
しかも「歩く木」である夫には、別の「宿木」があるという・・・。
そして、もっとはっとするのは、3つになったアカネちゃんがママに放った痛烈な一言。
大好きな双子の靴下(タッタちゃんとタアタちゃん)をよその子にあげてしまったママに
「ママ、タッタちゃんとタアタちゃんをあげちゃったみたいに、パパもだれかにあげちゃったの?」
と、さらりと残酷に、突きつけるのです。
ママを死神に取られてしまうかもしれない恐怖は覚えていても、こんな大人の事情や心理はほとんど読み取れなかった。
当たり前なのかもしれないけれど・・・。。
それでも、このシリーズは、愛されて育った少女のほんとうにキラキラした物語にはちがいなく。
女の子ならだれもが思い当たる成長が、とても愛らしく描かれた、すてきなすてきな作品です。
シュールな部分は、大人としての生活に臆病になりそうだけれど、
悲しみも喜びも含めて、幸せと思えてくるようです。