本のご紹介をさせて頂きます。
「共同幻想論」などを著した思想家、吉本隆明さんがひきこもることについて語った一冊です。
吉本さんはひきこもることは決して悪ではない、と主張します。
むしろそういう時間を持つことで自分の中に価値が生まれ、言葉が深くなるのだ、と。
印象に残った箇所を引用させて頂きます。
“僕には子どもが二人いますが、子育ての時に気をつけていたのはほとんど一つだけと言っていい。
それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。
くだらない用事やなにかを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました。
勉強している間は邪魔してはいけない、というのではない。
遊んでいても、ただボーッとしているのであっても、まとまった時間を子どもに持たせることは大事なのです。
一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです。”
“他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が自分に価値をもたらすような言葉。
感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉。
ひきこもることによって、そんな言葉をもつことができるのではないか、という話です。”
“「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけど存在感があるな」とか、
そういう感じを与える人の中では、「意味」だけではなく「価値」の増殖が起こっているのです。
それは、一人でじっと対話したことから生まれているはずです。”
私自身、20代半ばで体調を崩し一時期ひきこもっていた経験がありますが、
あの時間が自分なりの価値を生んでくれたと思います。
そしてその価値に従って、今こういう仕事をさせてもらっています。
だから吉本さんの言葉には強い共感を覚えます。
ひきこもっていた時期に読んだ吉川英治の著書「宮本武蔵」の中にも、
沢庵和尚に捕らえられた武蔵が、姫路城の開かずの間に幽閉され3年間読書に耽る、という記述がありました。
当時の私はその描写に自分自身を重ねていたのかもしれませんが、
人が何者かに変容するためには、そのように一人こもり自己と対話する時間が必要なのだと思います。
ひきこもることは決して悪ではなく、若い一時期そういう時間を持つことは、むしろその後の人生を豊かにしてくれる。
ただし、その際注意が必要です。
スマホやタブレットなどのデジタル機器、SNSやゲームへの依存です。
ひきこもる間それらに依存することは、自己との対話の時間を奪い、それどころか自己対話の基盤をなす脳を破壊しさえします。
そういうものたちに豊かな自己対話の時間を邪魔させてはいけません。
ひきこもっている子どもの周りにいる大人には、それだけはくれぐれも注意して頂きたいと思います。
吉本さんは「ちいさな群への挨拶」という詩の中でこのように述べています。
“ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる”
自分という人間が倒れたとき、世界から一つの力が消える。
この唯一無二性を獲得できたのは、吉本さんご自身がひきこもる中で価値を、言葉を得てきたからではないでしょうか。
何に価値を見い出すか、何を美しいと感じるか、何を守っていきたいか。
そんなこれからの自分を支えてくれる価値や言葉を生み出す時間を与えてくれるのが「ひきこもる」です。
そんな時間を過ごす子ども達を支える力強い言葉に満ちた素晴らしい一冊、ぜひ手に取ってみてください。