小学生までは楽しそうに学んでいる子が多いのに、中学生くらいから学ぶことが嫌いになる傾向がある。
昨日はその理由を考えてみました。
中学生以降の子どもたちの学びに必要なのは、何かができるようになる喜びや他者からの承認・評価ではありません。
頭の中で既知情報と既知情報が繋がって、気づけなかった何かに気づく喜び。
これが彼らの学びの動機づけになるのです。
それでは「気づく喜び」のある学びとは、どのように作り出していけばいいのでしょうか?
人に何かを説明するとき、そのやり方は大きく三つに分かれます。
1、手法
2、理論
3、事例
この三つです。
手法とは、やり方を教えることです。
このやり方で解くと正解できる、その方法を教えることです。
やり方を教わり覚えれば、誰でもすぐに同じパターンの問題を解くことはできます。
その反面、別のパターンに当たったとき、思考停止状態に陥り何もできなくなります。
すぐに結果がでる反面、応用がきかず、覚えてやるだけなので単なる作業になってしまいます。
そこから得られる喜びは、他者からの承認・評価くらいでしょう。
次に理論について。
理論とは、なぜそうなるのかを教えること。
例えば数学の公式であれば、なぜそのような公式が導出されるのか、その理路を示すことです。
高校生の数学や理科では、このやり方が主流になります。
理論を教えているので、たとえ公式を忘れても自力で導き出すことができるため、暗記事項をグンと減らすことができます。
またなんでそのようになるのかを理解しているため、ほかの問題にも応用可能です。
三つ目の事例とは、具体例を挙げて説明することです。
よく使われるのは、小学生の算数、中学生の理科などです。
例えば、分数の計算を折り紙を使って説明するとか、物理や化学の現象を日常生活を例に説明するとか。
日常生活の事例と一緒に理解するので、記憶にとどまりやすくなります。
やり方を覚えるだけの手法とは異なり、理論と事例というのは、取り扱う問題の抽象度を上げて理解しているので、
他の問題にも応用しやすく、また他の事象と結びついて気づきも促します。
気づくこと自体が人間にとって快であるため、またその快を得るために、人は学び続けるようになるのです。
教える立場からすれば、手法を教えて「はい、同じようにやってごらん」の方が圧倒的に楽ですが、そのやり方では結果に結びつき辛いです。
嫌でもつまらなくても、家庭教師がそばにいるときは、子どもたちは我慢して学習するでしょうが、いなくなればもうしないでしょう。
結果の出る子はどういう子かと言えば、家で一人でも学習する子です。
その状態に持っていくためには、ただやり方を覚えるだけの作業のような学習ではなく、気づきを得られるような学びの時間を持つ必要があるのです。
そして事例を引いたり、理論で説明するためには、教える側が常に学び続けていなければなりません。
物事を抽象的に理解し、具体例に落とし込む能力も必要です。
より良い学びを提供できる人とは、その人自身が学び続けている人です。
もしご家庭でお子さんに勉強を教える機会があるならば、ぜひ事例と理論でお子さんの気づきを促すように教えてみてください。
そして家庭教師などの専門家にお願いする時でも、どのような考えのもと教えるのか、今日の手法、理論、事例の観点から質問されてみてください。
気づきのある学びを通じて、自分で考え自分で世界を切り開いていける子どもが増えてってくれたらいい。
そんなことを思いながら私はこの仕事をしております。
ここに綴ったことをぜひ参考にしてみてください。