昨日のブログでは、葛藤するというプロセスが人を成熟に導く、というお話しを綴りました。
これは、学習にも当てはまります。
問題を解くときに、最初から解き方を教えて同種の問題を子どもに解かせる、というやり方をしていると、
子どもは問題を解くときに何も自分の頭で考えるという経験(言い換えるなら葛藤)を経験していきませんので、
その時は解けても、次に同じような問題に当たっても自力で解けないということがよく起こります。
このやり方だと、教える方も考えなくてよいので楽なのですが、なかなか成果は出にくいです。
だから私は、なるべく教えない指導を心がけております。
教えずに何をするのか?
子どもが気づきを得られるようなヒントを出し続けます。
自分で考えて一度気づくと、次にまた同種の問題と出会ったときに、自分で気づけるようになるのです。
この指導方法は、一対一または少人数の指導形態でないとなかなか難しいです。
集団指導では、どうしても解き方を教え覚えさせるというやり方の指導になってしまいます。
それだと記憶力のいい子は成績が伸びることがありますが、教わった解き方で問題を解くという作業をしているだけなので、学ぶことに喜びを感じづらくなります。
小中高とそのような学習をしてきた子どもたちが専門学校や大学に入るなり、勉強そっちのけでバイト、サークル、飲み会に明け暮れてしまうのも無理からぬことだと思います。
頭の中で知識と知識がつながって何かに気づくという喜びを体感せずに、ただ覚えたことを繰り返すという作業を積み重ねてきたのでしょう。
葛藤と成熟の話に当てはめるなら、どうやって解くのだろうと悩んでいる過程が葛藤、気づいて視点が一段高くなることが成熟です。
学習でも子どもたちを成熟に導こうと思ったら、葛藤するというプロセスを奪ってはいけません。
効率を重視して解き方を教えるというのは、子どもたちから葛藤の機会を奪うということです。
成熟は期待することは難しいでしょう。
解き方を教えない教え方とは、気づきを与える教え方。
それは、ヒントを出して子ども自身に気づかせること。
具体的には、手法を教えるのではなく、事例を示してあげること、理屈を教えてあげること、この二つをすることです。
お子さんよりも視点の高い大人で、その子のために手間暇とかけることを厭わない人であれば、誰でもできます。
親御さんが教科書を読んで理屈を理解すれば、十分お子さんに指導することが可能です。
またそれが、親子のコミュニケーションにもなるでしょう。
ぜひご家庭で試してみてください。
続きます。