「成熟は葛藤を通じて果たされる」とは思想家であり武道家の内田樹さんの言葉ですが、
人間が成熟を果たすためには、葛藤するというプロセスが不可欠です。
それでは葛藤とは具体的にどのようなプロセスを言うのでしょうか?
ドイツの哲学者ヘーゲルは、弁証法という方法によって、人間は絶対的な知に到達できる、と主張しました。
今、ある主張(これをテーゼという)と、それに反する主張(これをアンチテーゼという)があったとします。
この相反する二つの主張の中で、一体どちらが本当なのだと悩み揺れ動く中で、この二つの主張を包含した新たな主張(ジンテーゼ)が生まれる(アウフヘーベン)。
このプロセス(弁証法)を通じて人間は絶対知にたどり着くとヘーゲルは考えました。
この悩み苦しむ過程が葛藤であり、その末に訪れるアウフヘーベンこそが人にとっての成熟です。
もっと具体的な例に落とし込んでみましょう。
ある中学生の男の子を考えてみましょう。
部活の顧問の先生は、「部活がんばれよ!」と言ってくる一方で、家に帰ればお母さんから「あんた部活ばっかりしてないで、勉強しなさいよ!」と言われます。
部活の先生は部活頑張れって言うし、お母さんは勉強頑張れって言う。
この二人の言うことは矛盾している、一体どっちが正しいのだ、少年は悩み葛藤します。
しかし、その葛藤のプロセスを通じて大人になった後に、彼ははたと気がつくわけです。
部活の先生は部活を通じて、お母さんは勉強することを通じて、要するに大人になれよって言っていたのだな、と。
つまり二人の大人が少年に向けて発するメッセージには、実は何の矛盾もなかったと、事後的に分かるようになるわけです。
これが「成熟は葛藤を通じて果たされる」の意味です。
このように、人間が成熟してくためには、葛藤というプロセスを省くわけにはいかないのですが、
戦後の日本はある意図によって、この葛藤というプロセスが社会から排除されてきたのです。
続きます。