一冊、書籍の紹介を。
共に待つ心たち 高垣忠一郎 著
心理学者として、臨床心理士として、子どもの心の問題に携わってこられた、高垣忠一郎さんが、大阪の「登校拒否を克服する会」で行った講演をもとに編まれた一冊です。
子どもと関わる大人には、「評価のまなざし」と「共感のまなざし」の両方の目が必要、両方の目から子どもを眺めた時に、初めてその子の人間性が立体感を持って現れてくる、と高垣さんは述べておられます。
だけど今の社会は、「共感のまなざし」ではなく、「評価のまなざし」でばかり、子どもたちを見つめる世の中になっています。
気持ちを汲んでもらえて、分かろうとしてもらえて、初めて心の中に、「自分が自分であって大丈夫」と思える安心感が育ち、それがあるからこそ、評価の世界に身を投じて行けるのに、その安心感ももらえぬまま、評価のまなざしばかりを突きつけられる子ども達が増えているのではないでしょうか?
だから無表情になってゲームの世界に逃げ込んだり、自信なさげに人に評価してもらうことで自分を支えようとしたり、高圧的な態度で他者より優位な立場に立とうとしたり、そんな振る舞いをしてしまうのでしょう。
そして子どもに対して、その子の成長を待ってあげられず、性急に評価のまなざしを向けてしまう大人自身が、ずっと評価のまなざしの中で汲々と生きてきた当事者であることも少なくないように感じます。
セカセカと急かされてこころに余裕がなくなると、自分は何のために急いでいたのか、そもそもそんなに急ぐ必要があったのか、そんなことを考える余裕さえも無くしてしまいがちです。
そういう性急な世の中に生きる大人自身が、一度立ち止まり、一体自分は何に急かされていたのだろうと自問することが、子どもたちの問題の解決の糸口になるのではないでしょうか。
子どもの問題の多くは、子どもの問題ではなく、大人の問題です。そして今という時代は大人自身が生きるための指針を見失い、途方に暮れているような状態です。
私自身、日々迷い考えながら生きている弱い人間でしかありませんが、その迷い考える日々の中で、自分自身の成長をゆっくりと待ってあげるという姿勢が、この性急な時代には大切なのだと思います。
評価のまなざしではなく、共感のまなざしで自分自身の成長を待ってあげること、それはそっくりそのまま子どもへのまなざしへと、転化していくのではないでしょうか。
きっとそれが「共に待つ心」という言葉に込められた気持ちなのだと思います。
目次
第1章 子どもを内側から理解するために
第2章 いじめ・登校拒否と子どもの関係
第3章 学校教育を自己肯定感が育つ場に
第4章 かけがえのなさを感じられる社会に
第5章 地球レベルの不安の中での安心の人間関係とは
第6章 「心の浮き輪」の探し方
第7章 登校拒否・ひきこもりのフォークロア
第8章 「さようなら」と「こんにちは」の物語
終章 登校拒否問題への私の見方とかかわり方