前回は万能幻想に囚われて、思い通りにならないことに耐えられない大人が増えているのではないか?という問題提起をしました。
その原因の一つとして私は科学技術の発達が、人間の不可能を次々と可能にしていったことを挙げました。
万能幻想を手放せない原因、私はもう一つあるのではないかと思います。
それは、日本の家庭から磯野波平的父親がいなくなったこと、ではないかと思います。
科学技術の発達も波平的父親の不在も、「父性の排除」という話に統合できるのですが、その前に、母性とは何か?父性とは何か?、子育てにおけるこの二つの役割とは何か?
そんなことを考えてみたいと思います。
=母性と父性=
母性とは何か?父性とは何か?
ちょっと抽象的な表現になりますが、言語化してみると、以下のようなものです。
父性・・・切り開く、区別する
母性・・・受け容れる、包摂する
これでは何のことだかいまいちよく分からないと思いますので、具体的な例を挙げてみたいと思います。
例えば子育てをしている中で、お子さんが反社会的なふるまいをしたとします。友達に暴力をふるってけがをさせた、お店からモノを盗んだ、など。
この時、反社会的な行為をダメなものはダメと叱り、社会のルールを教えるのが父性の役割。
なぜそのような行為に至ったのか、その背景をわかろうとすること、受け容れることが母性の役割。
自分の気持ちを分かってもらえず、ただ社会のルールばかりを押し付けられれば、今度は自傷やひきこもり等、暴力や窃盗とは別の形で、子どもたちはその満たされない思いを表現することになるでしょう。
これは、母性不足、父性過多の状態です。
逆に気持ちを受け容れ、分かろうとするばかりで、伝えるべき社会のルールを示してあげなければ、その子は親亡きあと、人の間で生きていけない人間になってしまうでしょう。
これは母性過多、父性不足の状態です。
このように考えていくと、子どもを育てるときに、母性と父性がバランスよく発揮されることがとても大切なのだと分かります。
だからご夫婦でコミュニケーションをとり、母性と父性の役割分担をすることが子育てにはとても大切なのです。
そしてお父様、お母様、お一人でお子様を育てる場合でも、このバランスを意識することが大切なのだと思います。
次回に続きます。