「そのままのあなたが素晴らしい」
「あなたなら出来る」
その方のありのままを受け容れる言葉、可能性を信じる言葉。
それも一つの優しさの形と思います。
そしてもう一つの優しさもある。
私はそう考えます。
優しさってなんだろう?
考えてみたいと思います。
=万能感に囚われて=
「引き寄せの法則」
「思考は現実化する」
「宇宙の力を味方にする」
こういうお手軽自己啓発本に書いているようなことばかり口にされる方。
私は正直苦手です。
確かにそれが成り立つ場合もあるようには思いますが、そうは言ってもそうならない場合だってあるでしょう。
もし何もかもが思い通りになっているのならば、この世に宗教というものは生まれなかったのではないでしょうか?
日々生きる中で、湧き上がる不条理ややるせなさを救済する方途として、人間は宗教というシステムを作り出したのだと思います。
科学技術が発達したことで、人間は様々な不都合を解消してきました。
寒ければ暖房をつければいい。遠くの人と話したければ電話すればいい。海を越えたければ飛行機を使えばいい。
こうして様々な思い通りにいかないことを思い通りにする手段を手にしてきました。
このようなものが存在しない昔々の人たちは、いかようにして思い通りにならない現実を生き抜いてきたのでしょうか?
それは思い通りにならない現実を克服するというやり方ではなく、自分自身をこの現実にアジャストするというものでした。
それは自分自身の困難を受け止める器を大きくすること、言い換えるなら人間として成熟を果たすことです。
科学技術の進歩が次々と不可能を可能にしたことで、現代人は思い通りにならないことに耐える能力が著しく劣化してしまったのではないでしょうか?
その一つの現れが、万能幻想に囚われた大人たちなのではないでしょうか?
私が「引き寄せ」系「宇宙の力」系の人たちに違和感を持つのは、人間的成熟を果たすという困難な仕事から目を背け、不都合な現実からただ逃避しているように見えるからです。
そういう方たちからは、誰かのせいにする事で問題を無かったことにする、クレーマー、モンスターペアレントと呼ばれる人と同じ臭いがします。
統合するなら、大人になりたくない人たち、でしょうか。
何故こんなにも万能幻想に囚われて、現実逃避的に生きる人たちが増えたのか?
科学技術の発展に加えて、私はあることが関わっているのではないかと考えています。
次回に続きます。