与えられるものは環境 | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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ご覧頂きありがとうございます。不登校に悩まれる親御さんが心の穏やかさを取り戻し、子どもたちが笑顔を取り戻してくれること、それが私の喜びです。不登校に悩まれる親御さんのお役に立てるよう、情報発信して参ります。


才能とはやり続けられること。

なぜやり続けられるのか。

それがその人にとって快であるから。

そうであるならば、快と感じる何かはその人にとっての才能の芽といえるのでは。

前回までのブログでそのような話を綴りました。

それではその才能の芽ともいえる快と思えるものを、子どもの中に育むために私たち大人にできることとは一体何でしょうか?

いくつか考えてみました。


=子どもの遊びを邪魔しない=

私には四歳になる甥っ子がおります。

この正月も東京から帰省してきたので、たくさん一緒に遊びました。

小さい子と遊んでいると、度々なんでそんなものに気をひかれるのか?なんでそんなことに熱中するのか?

大人の目で見ると疑問に思うようなことに、集中しているときがあります。

大人から見たら無意味に見えるその時間も、子どもにとっては本当に意味深い時間です。

子どもは疑問に思ったもの、興味を持ったものを通して、世界に対する認識を深め、自分の世界観を形作っていきます。

だから子どもが何かに夢中になっているとき、大人はそれを邪魔することなく見守ってあげたらいいと思います。

昭和を代表する思想家の吉本隆明さんは著書の中で、自分が子育てで気を付けていたのは、子どもが何かに熱中しているときに邪魔をしないことだった、と書いていました。

そうして育ったのが、作家の吉本ばななさんです。

子どもの才能を伸ばすことと、子どもの遊びを邪魔しないことはやはり関係があるのだと思います。


=子どもを害するものから守る=

それでは、子どものやりたいことをやりたいようにさせてあげればいいのでしょうか?

私は違うと思います。

ひきこもり、不登校の状態が長く続くと陥ってしまいがちなのが、インターネット・ゲームへの依存です。

以前にもブログ記事に書きましたが、インターネット・ゲームへの依存は、子どもたちからたくさんのものを奪います。

自分の頭で考える力、人生を味わうための感受性、自分の世界を切り開いていく意欲。

インターネット・ゲーム依存は今年になってWHOが正式に疾病に認定しました。

医学的に根拠のある病気ということです。

それにもかかわらず、日本ではゲームやインターネットにそのような危険があることさえ知らない大人がたくさんいます。

責任の一端はマスメディアにあると私は思います。

そういう危険があると分かりながらそれをマスメディアが伝えない。

それは通信業界やゲーム業界が彼らの大口スポンサーだからでしょう。

それが悪いと分かっていても、目先の金もうけのためなら何でも売ってしまう。

そういう商業主義の暴走から子どもたちを守ってあげること。

これも子どもたちがその才能を伸ばしていくために必要なことだと思います。



=穏やかであること=

三つめが最も大事なことだと思います。

親御さんが、日々を心穏やかに過ごすこと。

小さな子どもたちは、まだ自分でできないことがたくさんある本当に無力な存在です。

親御さんの助けがなければ生きていけない弱い存在です。

自分の生殺与奪を握っている親御さんが精神的に不安定でいることが子どもに与える影響は、大人の想像をはるかに超えるものです。

親御さんが精神的に不安定な状態で、どうして子どもたちが自分の関心事に没入することができるでしょう?

家庭が安心できる場所であって初めて、子どもたちは、親の顔色伺いなどすることなく自分の興味あるものに集中し、世界観を広げていける。

子どもがその才能を伸ばしていくためにはまず、親御さんが心穏やかにいることが必要不可欠なのです。

過剰な情報、時代の変化の速さ、人から穏やかさを奪うものであふれているような時代ですが、自分のためはもちろんのこと、自分の身近な人のため、子どもたちのためにもどうぞ穏やかであってください。

穏やかであるためにどうすればいいのか。

別の機会にブログでも紹介させていただけたら思います。



実学志向という世の流れに対する疑問から、一般教養の大切さ、そして才能とは何か、才能の伸ばし方について綴って参りました。

時代の変化はその速さを増し、こういう生き方をしていれば、安心といえるものがなくなった時代。

求められるものは変化に即応する力ではなく、変化を受け止め自分の中に取り込んでゆけるような、汎用的で応用的な力なのではないでしょうか。

学習を通じて子どもたちがそのような力を身に着けていけるよう、私は私にできることを通して、次世代に良いパスを送っていこう。

文章を綴りながら改めてそう思いました。