人に強い影響を与える「前提」について様々な事例を挙げて綴ってきました。
周りの人が自分に対して抱く前提。
大人でも無意識的にこの影響を受けている人は多いと思いますが、自分という人間に対する認識がまだ未確立な子どもはもっと大きな影響を受けていると感じます。
良くも悪くも、人はそうと信じる誰かがいるから、そのようになっていくのではないでしょうか?
=実存は本質に先立つ=
「実存は本質に先立つ」
フランス人哲学者、ジャン・ポール・サルトルという人の言葉です。
人間は初めから人間性を備えて生まれてくるのではなく、周りから人間として扱われることで初めて人間になっていく。
人間性という本質がまずあって、人間という実存を作るのではなく、その人を取り囲む環境という実存が、その人の人間性という本質を形作っていく。
つまり実存は本質に先立つ。
これがサルトルの実存主義という考えです。
さらにそこから飛躍して、神という本質が人間という実存を形作ったのではなく、人間という実存が神という本質を形作った。
つまりこの世に神などいないという宗教批判になっていくのですが、それはまた別の話。
様々な例を引いて、前提の話をしてきました。
自分も含め人は、問題行動を起こす人を見たときに、その人を問題のある人と考えてしまいがちです。
しかし、その問題のある人という前提が、その人をさらに問題のある人に仕立て上げてしまう。
そんなことはないでしょうか?
問題のある人という本質がまずあって、問題行動という実存がここにあるのではなく、
〝問題のある人という前提で接する人〟という実存が、問題のある人という本質を形作っている、ということはないでしょうか?
私が一緒に勉強した男の子は、学校では問題児扱いを受けていましたが、一緒に勉強する限り素直で優しいいい子でした。
キツネは「優しい」「親切」「神様みたい」と言われることで、そのようになってゆきました。
心折れかけていた私は、子どもたちが必要としてくれたことで、信じてくれたことで、もう一度自分を信じられる自分になれました。
人は、良くも悪くも、そうと信じる誰かがいるからそのようになっていく。
そうであるならば、今お子さんんがどんなに世間的に良くない状態にあったとしても、
「そんなことはない、この子は才能と可能性をもった素晴らしい存在」
その前提で見守ってくれる親御さんの存在が、ゆっくりゆっくりかもしれませんが、お子さんを良い方向に導いて行くのではないでしょうか。
信じて見守ってくれる誰かがいるから、人は自分自身に課した前提を拭い去り、新しい自分へと変化していける。
自分自身の経験からも私はそのように思うのです。
=参考文献=
きつねのおきゃくさま あまんきみこ 著
哲学用語図鑑 田中 正人 著