「ひきこもる」は悪か?
ひきこもることで、「失われるもの」だけに光が当てられがちですが、ひきこもることで得られるものがある。
世間的なモノサシではなく、自分なりのモノサシを得るためには、ひきこもる時間が必要なのではないか。
そんな内容を綴ってきました。
「ひきこもる」も一義的な解釈をされていますが、人が持つ特徴にも同じことが言えるのではないでしょうか。
=長所も短所も同じコインの裏表=
お子さんが不登校になることで、親御さんは「なんでうちの子どもだけ、、、」「この子さえもっと○○であってくれたなら、、、」そんな風に思われることも多いのではないでしょうか?
世間一般的に描かれる理想の子ども像とは、どのようなものでしょうか?
例えば、元気で、前向き、誰とでも仲良く、素直な子。
そんな感じでしょうか?
例えば「元気」。
裏を返せば喧しい。
例えば「前向き」。
裏を返せば、自分を省みる視点がない。
例えば、「誰とでも仲良く」。
裏を返せば八方美人。
例えば「素直」。
裏を返せば従順。
一般的には長所と捉えられるような特徴も表現の仕方を変えただけで、短所に様変わりしてしまいます。
それは、長所も短所もどちら側から光を当てたかの違いだけで、その人が持っている一つの特徴を別角度から表しているに過ぎないからです。
そういう意味で、長所と短所は同じコインの裏表なのです。
物事には良い面と悪い面が両方付随しているものではないでしょうか?
だからその片方の面だけにフォーカスして、どうぞ、ご自身を、お子さんを責めたりなさらないでください。
ひきこもることにしても、人間の特徴にしても、決して悪い面だけではありません。
もし誰かの都合で植え付けられた浅薄な価値観に縛られて心が辛くなっているのならば、是非もう一つの視点から光を当ててみてください。
不登校になりひきこもることで、失われるものも確かにあるかもしれません。
しかし、周りにいる大人が適切なケアをしてあげれば、それは世間の価値観とは別の自分なりの世の中の切り取り方を得る素晴らしい時間に転化していく。
私はそう考えます。
=参考文献=
ひきこもれ 吉本隆明 著
孤独と不安のレッスン 鴻上尚史 著
若き友人たちへ 筑紫哲也 著