アドラー心理学の知見、「課題の分離」について綴っております。
その決断をすることで最終的に責任を負うのは誰か?
この観点から、それが誰の課題であるかを判断する。
すると、他者の課題に踏み込むことがなくなり、自分の課題に踏み込ませることがなくなり、複雑に見える人間関係の悩みがシンプルになっていく。
「課題の分離」という考え方には、そのような効用があると綴りました。
=結末を経験させる=
人間関係がシンプルになる以外にも「課題の分離」には、大切な意味があります。
むしろ子育てということを考えるならば、こちらのほうが重要かもしれません。
それが「結末を経験させること」です。
例えば先日の例、宿題をしない、持ち物を確認しない、部屋の掃除をしない、を考えてみましょう。
宿題をしないことで起こりうる結末は、学校の勉強が分からなくなること。
持ち物を確認しないことで起こりうる結末は、必要な活動ができなくなって困る。
部屋を掃除しないことで起こりうる結末は、探し物が見つからずに困る。
そういった結末を自分自身で経験して、気づき、考え、学ぶ中で人は成長を果たしていきます。
「宿題をしなさい」と口を挟むこと、持ち物を確認してあげること、子どもの代わりに部屋を掃除してあげること。
親御さんがお子さんの課題に踏み込むことで、短期的にはお子さんは不利益を被らずに済むわけですが、ここで考えて頂きたいのは、「子どもを教え導くことの目的は何ですか?」ということです。
その目的、私は一言で「自立させること」だと考えます。
親御さんん含め、私も、学校の先生も、子どもたちに関わるすべての大人が、子どもたちより早くこの世からいなくなる、その可能性が高いわけです。
そうであるならば、自分がこの世からいなくなっても、子どもたちが困らずに生きていけるようにすること、それが大人の大切な仕事ではないでしょうか?
子どもたちの課題を肩代わりすることで、短期的に子どもたちは困らずに済みますが、それではいつまでも大人に依存した状態から抜け出せません。
子どもたちと関わることの最終目的は、「あなたもう必要ありません」という状態になってもらうこと、自立してもらうこと。
そのためにも私を含め周りの大人は、子どもの課題と自分の課題を分離し、きっと失敗するかもと思っても結末を経験させてあげる、見守る勇気が必要なのかもしれません。
日々お子様と関わる中で、この「課題の分離」という考え方をぜひ意識してみてください、お子様を自立に導くために。
「課題の分離」のためには、大人にも見守り、結末を経験させてあげる勇気が必要なのだと感じます。
ただ、「課題の分離」という概念は、「これはあなたの課題だから私は知らない。自分の力で何とかしなさいよ。」と突き放すことではありません。
子どもたちが自分の力で自分の課題に立ち向かうために、私は心の中に安心感があることが必要不可欠であると考えます。
心の中に安心感があるからこそ、人は未知のものに立ち向かって行けるのではないでしょうか?
次回はその安心感を育むための接し方、「勇気づけ」という概念について綴ろうと思います。
=参考文献=
嫌われる勇気 岸見 一郎 著
アドラー心理学入門 岸見 一郎 著