インターネット・ゲーム依存症について綴っております
人を依存症に向かわせるもの
それはその人が抱え込んでしまった寂しさ
だから依存症だけをどうにかしても効果は薄く
その人の寂しさに目を向けて
寂しさに手を当ててあげることで回復へのプロセスが始まる
前回はその具体的な方法について考えてみました
=逃避のための依存=
寂しさが人を依存症に向かわせると綴ってきました
綴りながら気づいたこと
人を依存症に向かわせるもう一つの原因
それは見たくないものから目をそらすための
逃避するための依存です
向き合わなければならない何かがあるにもかかわらず
それに向き合い切れないときに
人は現実逃避の方法として何かに依存する
それは不登校の子どもたちにも当てはまります
=不登校と依存=
学校に行かなければ、でも行けない
不登校の子どもたちは
この葛藤の中で揺れ動きながら日々を過ごしています
その葛藤する辛さに耐えきれなくなった時
向き合いきれない現実から逃避のために
インターネットやゲームの世界に依存し始めるのです
逃避のための依存が続き、依存傾向から依存症へ
そうなっては取り返しのつかないことになる
そうならぬために周りの大人ができることとはなんでしょうか?
=安息と葛藤=
それは安心して休める場所を提供することです
安心して休める時間のなかで子どもたちは
辛すぎて感じきることができなかった感情を味わい直し
少しづつ少しづつ心の穏やかさを取り戻していく
そして穏やかさを取り戻した分だけまた
「学校に行かなければ、でも行けない」という
葛藤と対峙できるようになります
そして葛藤することに疲れたらまた安息の場所へ
この安息領域と葛藤領域を行きつ戻りつする中で
子どもたちは心にエネルギーを蓄えて立ち上がっていくのです
=不登校と学習=
不登校の子どもたちにとっての学び続けることの意味
それは単に将来のためというだけではありません
学校に行けなくても学習を続けることで
このままではどうなってしまうのだろうという不安を軽減し
いつでも学校に戻れるという状態を保つからこそ
安心して休むことができる
と同時に「学校に行かなきゃ、でも行けない」という葛藤の辛さを和らげ
将来の可能性を奪う、依存症に陥るリスクを下げることにもつながるのです
それが私が不登校の子どもたちと学習を通じて関わる理由の一つです
数回に分けてネット・ゲーム依存症の危険について綴ってきました
子どもたちから将来の可能性を奪わぬように
子どもたちより高い視点をもつ大人が
注意を払わなければならないと感じます
そして今現在
中高生の8.1%がネット依存症という調査結果がある事実
寂しさが人を依存症に向かわせるなら
なぜ子どもたちがそんなにも寂しさを抱えるに至ったか
それは周りにいる大人たち一人一人が
考え続けねばいけないことであると感じます