比較は不幸の始まり。


いつも自分は誰かと比較していた


インスタだって。

エックスだって。

おしゃべりだって。


上を見て


「あの人はいいな」

「自分にはこれがないなぁ、」


下を見て

「あー自分はそうじゃなくてよかった」


って

何も情緒は豊かにならない。


下を見たら、上を見たくなる


上を見たら、下を見たくなる


そこにいるのは不幸な私。

不機嫌な私。


そこにいるだけ。


満足してないひとは、

まず比較なんてやめよう。


比較は喉の渇きを生むだけ。

心がひからびる。


まずは、自分なんてちっぽけなものが

本来今恵まれてるんだってことを

すっかりわすれないようにしよう。


今を見つめてじぶんをみつめていたら


やるべきことが自ずとみえてくるはず。


誰かとの比較、

本当に必要ない



あなたのすべての恵みに感謝して

ゆっくり眠ろう






過去を思い出した時…


あの頃は良かったなぁなんておもうことはありませんか?


過去ってなぜかえぐみや苦味が綺麗になくなっている。


だから過去を思い出すといい味しか無いように思う。



でもさ過去も本当はほろ苦かった、


それを忘れてるだけなんだよ。


そんな過去を乗り越えてきて今があるんだ。


乗り越えてきただけでも

本当にえらいじゃないか。



誰に認めてもらえなくても自分がわかっておけばええのさ。

 

私の親はいつもどこか否定的。

 

「○○してみよっかな!」

「これを頑張ろうと思う!」

 

って言っても、わりと否定的にやじられていました。

 

小さい頃からずっと親に認められないなーなんて思っていた。

 

頑張ってても、頑張ってるな!♪とか言ってもらえなくて。

 

私自身、

自己肯定感は最高に低かったです!

 

バイトしてみても、大学内でも、なんとなく自信がなくて。

恥ずかしくって。

 

自信満々で生きられる人が羨ましかった。

 

でもふと気づいた。

 

自分の不遇があったからこそ、人の感情やちょっとした表情の変化に敏感になっていた。

「察する力」は私の中に自然と根付いていたのです。

 

もちろんそれをしんどいと思うこともあった。

 

でもそのおかげで人がどう感じるかに

触れられる自分がいた。

 

親をうらみ節に思ったこともある。

 

でも子育てってあみだくじみたいで、

自己肯定感が高い子に誉めそやして育てたとしても

 

どこか天真爛漫すぎて

人の気持ちに無頓着になったりも、する。

 

「自分は誉めそやされて育ってもそんなよくなかったんちゃうか〜」

そんな気がしてきた40歳。

 

 

誰しも自分の幼少期を嘆くこともあると思う。

 

だけど、そのおかげで培えたことが必ずあるはず。

 

 

子育てはあみだくじみたいに意図したものが返ってくるとも限らないし

何が善で何が悪ってことはない。

 

スティーブンスピルバーグも、家庭環境に恵まれなかったからこそ。

 

本当の意味でのハートフルな作品を制作できると聞いた事がある。

 

 

... 面白いですよね、人生って。