∀【最勝衛叉大明神祝詞】
手天道衛教・自分神話研究会・348
あなたのメンタルヘルスに貢献する。
私はまず自分自身の為に、最強の呪文を作ろうと行動しました。
そこには一切の妥協はありませんでした。
ですが、教祖となった今、分かりました。
教祖になりたかった訳ではないけれど、
自分自身の手天国家を守るために、最善の方法をまとめあげた。
でも、科学に立脚する私からすると、
「神」とは人間が生み出した概念であって、十人十色でいい。
ただ、前世・来世は非科学的なので認めない。
手天道衛教が、本当に良い宗教であると確信するから無償提供する。
本来、宗教は衆生救済が第一の本義であって、
見返りは求めない。
そうした気持ちで、衛教祝詞に続いて衛叉祝詞を続けて声に出して読んで下さい。
【最勝衛叉大明神祝詞】(衛叉祝詞)(さいしょう・えいさだいみょうじんのりと)
「天降(あまふ)りし、宮地(みやじ)の御札、二降(ふたふ)りて、風無きに揺る、奇(く)しき御札(みふだ)は。
しこうして、黒き鬼神(きしん)の、打ち笑い、照間香椎(てるまかしい)と、仰(おほ)せ給うる。
両角(もろづの)の、神は御札(みふだ)に、入り居りて、世に御教えを、広めよと宣(の)る。
神多(かみさわ)に、八十神並(やそかみな)めて、廻(もとは)して、豊寿(とよほ)ぎ踊り、札に入りぬる。
両角(もろづの)の、神が導く、十一面、千手の主(あるじ)ぞ、叉鉢修羅部斯陀闥(サハスラブジャ)。
殊分(ことわ)きて、ここに十一方格の諸神を随(したが)へたる衛叉大明神を
神殿本尊「貴人」(きじん)としてお鎮め奉り、
この手天道衛教最勝の十一面千手大明神ぞはや、
最上(もがみ)の神とぞ畏(おそ)れ敬い畏(かしこ)み奉る。恐惶謹言頓首頓首(きょうこうきんげんとんしゅとんしゅ)。
オーン・エーカダシャ・ムカ・サハス・ラブジャ・アヴァローキテーシュバラ・ヴァジュラ・ダルマ・フリーヒ。」(一拝)
【衛叉祝詞・現在訳語】
神棚から降ってきた、宮地嶽神社の御札は、二回私の許に降って来て、
風もないのにぶらぶらと揺れていた、不思議な御札だなぁ。
しばらくして、黒い鬼神が夢の中に現れて高笑いしながら、
一言トゥリマカシイと仰った。
両角の神さまは、この御札に入って行きながら、
世間に衛教を広めよと告げられた。
これにより多くの、数えきれない程の神々が、この御札の周りをグルグルと周り囲んで、
喜び祝い、御札の中に入っていく。
両角の神さまが導く、十一面で、
千手の最高神こそは、サハスラブジャである。
特別に、ここに十一の方位からあなたを守る神々を従えたる衛叉大明神を、
神棚の本尊である「貴人」としてご鎮座いただき、
この手天道衛教で至上の神である十一面で千手の神さまこそは、
最上級の神さまであると畏敬の念を重ね持って、御祭祀申し上げます。
恐れ謹みながら地にぬかずいて申し上げます。
聖なる十一面で千手の、救世の、声に出して祈られる神は、武器と、信仰と、ご加護を
※【解説】
地主神である「両角」が、現在の御神床にあなたの最高神である衛叉大明神をご鎮座なされたのですよ、という内容です。復習になりますが最後の一文にあるエーカダシャ・ムカ(Ekadaza mukha)とは、11の顔を有する者であり、サハス・ラブジャ(Sahas rabhuja)とは、1000の手を持つ者です。そしてアヴァローキテーシュバラ(Avalokitesvara)は観音菩薩を意味しています。何となくアヴァローキタは「しっかりと見守っていますよ。」という、我々に対する神のメッセージであり、シュバラは「声に出して呪文を唱えるのですよ。」という教えの様に聞こえます。つまり衛叉大明神は仏教的に言えば千手千眼観世音菩薩であり、また衛教は衛叉大明神としてアヴァローキテーシュバラを仏教から解放しているのです。もしも衛叉神を千手観音と同一視すれば、その眷属は二十八部衆であり東西南北と上下の6方位にそれぞれ4部、そして北西、北東、南東、南西に各1部眷属が配置され28部となるのですが、このことはその10の方位に更に核祇という中心点を加えてエーカダシャ・ムカが11の方位の守護を意味する事の証明に他なりません。
また28という数字は中国で定められ、日本に伝来しました。元来、インドでは「ナクシャトラ」という27の星宿の分割法がありました。それが中国に伝わり、二十八宿になったことと相乗的に影響しあって28になったのであって、二十八部衆よりも古くから存在する天竜八部衆に由来するわれわれの十一方格神は正当性を持っています。以下にその理由を列挙いたします。まず、われわれの「移心大神」は「北極紫微大帝」(しびたいてい)に相応です。これは「北極星」信仰です。「宝来山神将と岩壁山神将」は「密迹金剛士」(みつしゃくこんごうし)に相応です。これは「金剛力士」です。更に「四方の鬼神」(よものきしん)の「風門力火鬼神」は「風神」に「鬼門石橋鬼神」は「雷神」に相応です。決め手は、阿修羅王のひとり毘摩質多羅(びましったら)が自分の美しい娘、舎脂(シャチー)を帝釈天に略取されてしまって以降、両者は永らく戦争をしたという神話から、われわれは帝釈天(インドラ神)を二十神に迎えてはいません。これは「非インドラ」信仰です。以上の通り、「衛叉」を最高神としながら、十一方格神の中では「大自在天」=シヴァ神を最高位に置く考え方を私に導き続けてくださった神様が照間香椎(てるまかしい)の神でした。なので、現段階での推測ですが、手天道衛教を公開に導いてくださった「照間香椎神」は、バラモン教の「ルドラ神」ではなかったかと考えています。
衛叉神のご配置の場所ですが、衛教伽藍(P92・P93)では衛教本殿の背面中央にご鎮座されます。十一方格神は八角神殿にご配置なされますので、衛教本殿ではその前後に他の神はご鎮座なされません。ご家庭の御神床の場合は二十神がご一緒にご配置なされますので、衛叉神はその御神床の方格中央にご鎮座なされ、その背面中央に五部浄神が、衛叉神の直前に緊那羅神がご着陣なされます。共にできれば南向きか風門向きでお願いいたします。
手天道衛教のホームページ↓『手天道衛教正典』一読下さい。