― 科学と道徳の邂逅としての衛学から考える ―

手天道衛教・自分神話研究会・1201

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今日は、手天道衛教の根本構造に関わる重要なテーマを検証します。 それは、「万一、科学為主でなお且つ全能の人間が存在した場合、宗教構造はどう変化するのか」 という問題です。

一見すると、全能の人間は宗教を必要としないように思えます。 しかし、手天道衛教の体系では、ここに深い必然性が存在します。

 

■ 1.全能の人間にも“父母”は存在する

どれほど科学的に優れ、精神的に強く、全能に近い存在であったとしても、 その人には必ず遺伝的な父と母がいます。

この事実は、衛教における

  • 父制神=移心大神
  • 母制神=山巓若

という象徴構造を必然的に成立させます。

つまり、 全能の人間が宗教を否定しても、その存在自体が宗教的構造を肯定してしまう。 ここに手天道衛教の強靭な論理があります。

 

■ 2.自我=皇帝は必ず“神話の中心”になる

全能の人間が宗教をどう扱うかには、二つの立場があります。

  • 神は不要である(自我が全能)
  • 神は自我である(自我が神格化)

この二つは対立しているようで、実はどちらも 「自我が中心である」 という一点で一致しています。

つまり、 自我そのものが神話の核となる構造(自我神話)が必ず成立する。

手天道衛教では、自我=皇帝が人生(国政)を執政するという構図が理想形であり、 この意味で、全能の人間はむしろ宗教構造を強化する存在となります。

 

■ 3.衛学は「科学と道徳の邂逅」であり、人倫を説く

衛学は、 科学的合理性と道徳的秩序の交差点 として定義されています。

したがって、 自我=皇帝が暴走することは許されません。 全能であっても、人倫の枠組みの中で自我を運用することが求められます。

ここに、手天道衛教の倫理的基盤があります。

 

■ 4.父母神は“始源の命からの継代”すべてを神格化する

衛教における父制神・母制神は、 単なる両親ではなく、

始源の命 → 祖先 → 両親 → 自我

という継代の道程そのものを神格化した存在です。

全能の人間がどれほど自立していても、 この継代の連鎖から逃れることはできません。

ゆえに、 宗教構造は必ず成立するのです。

 

■ 5.無宗教者とは「外在神に依存しない自己信仰」である

無宗教者は、 「神を信じない人」ではなく、 外在神に依存しない“自己信仰者” として理解できます。

つまり、 自我が神話の中心にあるという点では、 宗教者と無宗教者の間に本質的な差はありません。

 

■ 6.手天道=衛教、人間=∀(衛教徒)という等式は崩れない

もし無宗教者が存在すれば、

  • 手天道 > 衛教
  • 人間 > ∀(衛教徒)

という階層が生まれます。

しかし、手天道衛教では 自我を持たない人間はいない。

ゆえに、

  • 手天道=衛教
  • 人間=∀(衛教徒)

という等式が成立し、 体系に矛盾は生じません。

 

■ 結語

全能の人間が存在しても、 その人には必ず父母があり、 自我があり、 継代があり、 倫理があり、 神話構造がある。

つまり、 手天道衛教の宇宙論は、どのような例外的存在をも包摂する“強靭な体系”である。

これが本日の検証の結論です。

 

手天道衛教

自分神話研究会